風が吹く前に 第2部 (10)                       目次

  馴染みのレストランで簡単なディナーを受け取りメイアの家に向かう。料理が冷めないように急いで近道を行くことにした。通いなれた道は考えなくても体が勝手にハンドルを切る。通勤帰りの人々で路地は賑わっていた。呼び鈴を押すとまだ通勤服のままのメイアが出迎えた。硬いスーツに身を包んでいても、髪を下ろし眼鏡を外した彼女は昼間とは別人のように艶やかな雰囲気を漂わせている。
 「あら、今日は時間通りね」
 悪戯っぽく笑うメイアに笑顔を返し、勧められるままにリビングへ向かいソファに腰を下ろした。料理を手渡すとメイアは嬉しそうに覗き込んだ後、皿に移し変えるためにキッチンへと入った。程なく戻ってきたメイアから皿を受け取るとテーブルに並べるのを手伝い、そうして二人はソファに並んで座った。仕事の手伝いと明言して会っている以上、今日は泊まる訳にはいかない。回りくどい会話や質問はやめ、単刀直入に話を切り出した。
 「まだ詳しくは話せないんだが、ある事件のためにルナス正教と天女、そしてイリーシャについて詳しく知りたいんだ。表向きの情報よりもっと深い部分、それと伝説でも構わないから何か変わった情報が欲しい」
 メイアは一瞬鮮やかな笑みを浮かべ、リシュアの言葉に茶々を入れようとした。が、その真剣な顔つきを目の当たりにして彼女の表情も僅かに硬くなった。
 「なんだか危ない仕事をしているのね」
 思わず声をひそめて眉根を寄せる。リシュアは一瞬苦笑を浮かべた後、また真剣なまなざしに戻ってメイアを見返した。分かったわ、とメイアは小さく呟くと意を決したような表情で頷いた。
 「まずは天女について話をしないといけないわね……」
 食事を始めながら、静かにメイアは話し始めた。
 「これは神話の時代の話。ルナスの大地と月(リュレイ)を創造した神は地上に自らの血の1滴で創った人間達を住まわせたの。ところが地上には闇の中から生まれた魔獣がいて人々を襲ったのでその数はまるで増えなかった。彼らを守り導くために神は自らの魂を削って天女達を創り人々のもとへ遣わした」
 リシュアは黙って頷きながら話を聞いた。後はこのような話だった。
  
 ……人々はルナスの大地に住み、天女は月(リュレイ)に住んだ。神が架けた橋を使って天女はルナスへ自由に行くことができた。天女は人々に知恵を与えてより良き生活へと導いた。本来人間がその橋を渡ることを禁じられていたが、天女や神に近づきたいと願う者たちがいつしか禁を破って月(リュレイ)へ渡りそのまま住み着くようになった。神ははじめそれを許したが、人々はさらに欲を出し天女を自分の屋敷に閉じ込めてその力を私利私欲のために使い始めた。神は失望のあまり橋を落として天女を引き戻した。しかし既に何人かの天女は人間の子を生み彼らに混じって生活していた。地上には戻ることができなかった天女と、天女と人の間に生まれた特別な子供達が残された。彼らは神の許しを得るために月(リュレイ)に祈るようになった。

 「これが天女伝説とルナス正教の始まりよ。神話にはよくある話よね。神に見捨てられた人々の生活は荒廃して行ったわ。そこで人々は天女狩りを始めるの」
 リシュアはチキンを口に運びながら眉根を寄せた。
 「天女狩り? なんだか物騒だな」
 「天女狩りは歴史のあらゆるところで秘密裏に行なわれているわ。……今でもね。まあ、それは後で話すけど。とにかく、残った天女を廻って人々は争いを繰り返したわ。天女を捕らえてその力を使い、大きな権力や財力を得るためよ。でも、純粋に神の教えを信じて天女を神に還し自らの力だけで正しく生きようとする人々もいた。それがイリーシャよ」
 リシュアの手が止まった。
 「イリーシャが……本来の教えだと? 俺が聞いたのはもっと……」
 見返したリシュアに頷いてメイアは水の入ったグラスを手渡した。水を口に含むとほんのりとレモンの香りがして、僅かに炭酸の泡が口の中ではじけた。
 「はじめはそうだったの。でも時代を経ていくうちに名前だけが一人歩きをして中身は全然別のものになっているわ。それが今影で暗躍しているイリーシャよ。天女を神に還すという大義名分はそのままだけれど、実際はテロリストと変わらないことをしているわ」
 リシュアはふと思った。そういえばあのパーティー会場のホテルでの銃撃戦の犯人も過激な思想のテロリストだとオクトは言っていた。オクトの仕事がイリーシャを追う事だとしたら、彼らもまたイリーシャの一員だったということなのだろうか。
 「なあ、もしかしてそいつらはゲリュー王家の宝剣を……」
 「ええ。宝剣のインファルナス。あれで天女の命を奪えば天女はこの地からの呪縛を解き放たれ魂が神の元へと還ると信じ込んでいるみたい。だからインファルナスはおそらく今もどこかに厳重に保管されているはずよ。おそらくはカトラシャ寺院だと思うけれど」
 それを聞いてようやくリシュアはあのホテルの2人組の言っていた「お宝」というものがやはり宝剣のことだと納得が行った。そして、おそらくは寺院に潜伏して宝剣を盗み出そうとしていた目に見えない男、アリデア=イデスも彼らの一員だろう。今まで点のようだった事件が繋がってきて、何か悪意のある陰謀が寺院や宝剣に関わってきているように強く感じられた。そうなると少なくともインファルナスが今は軍の厳重な管理下にあることは結果的には良かったのだとリシュアには思えた。
 「天女の血を継ぐ者は生まれつき何か特殊な力を持っていると言われているわ。占い師や呪術師で名声を得られる人もあれば社会に出ることもできずに伝説の魔物のように言い伝えられる人たちもあった。犯罪に身を落とす人もね。今の科学では先天性の奇病としか言えないようだけれど、実際は過去に先祖が天女と交わることによって得た力の名残なんだと思う。研究者達はそういう力を持つ人たちを「天女のかけら」と呼んでいるわ。ひどく不完全で不安定な肉体と精神を持っているの」
 いつしかリシュアの手は止まり、話に聞き入っていた。メイアの口から聞かされる話は突飛過ぎるまさに伝承、伝説の域を出ないものだ。しかし実際自分自身がアリデアのような不思議な力を持つ人物の存在を目の当たりにしている。これは多少なりとも信じないわけにはいかないのだろう。
 「ということは将来的にはその「天女のかけら」とやらが何故そんな力を持ち得るのかが科学的に突き止められる日が来るかも知れないってことか」
 その言葉にメイアは微笑んで頷いた。
 「そうね。そうなれば素晴らしい発見になるわね。私もその瞬間に立ち会ってみたいわ」
 そしてしばらくじっと皿の上を見つめて何か考えたあと、また視線をリシュアに移して再び話を戻した。
 「現在のイリーシャはそういう「天女のかけら」を崇めながら、神に還すという教えを信じて次々に殺してもいるの。これが今行なわれている天女狩りよ。過去に行なわれたものとは全く意味合いが違ってきているわ」
 聞きながらリシュアは少し不思議な感覚を覚えていた。
 「君は確かに優秀な司書だが、何故そこまで詳しいんだい? 中には軍でも極秘扱いとされている情報もあるのに……」
 リシュアの質問にメイアはちょっと困ったような顔をした。
 「……そうね。本当は立ち入ってはいけないところまで首を突っ込んじゃってるわ。でも、なんていうのかしら。研究者ってね、気になりだすと止まらないのよ。命がけでも知りたいっていう衝動には勝てないの」
 苦笑を浮かべるメイアの髪に何気なく触れてリシュアはその顔を覗き込んだ。
 「それは分かる気がするが……無茶はしないでくれよ。なにか危険を感じたら相談してくれ」
 メイアは嬉しそうに微笑んで頷くと、一際明るい声を出した。
 「さ、折角のお料理が冷めちゃうわ。早く食べちゃいましょ」
 リシュアは笑顔で頷くと、メモを取っていた手帳を置いて夕食に専念することにした。

 

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