風が吹く前に 第2部 (21)                       目次

 
そのまま寺院に戻って午後のお茶の準備を手伝うことになった。イアラが簡単なクッキーの作り方をリシュアに教えながら器用に形作って天板の上に並べていく。
「後は焼くだけだから、そろそろ司祭様にお声をかけてきてくれる?」
司祭とは夕べ扉の前で番をしただけで、そのまま顔を合わせずに出かけた。どんな顔をして会おうかと思い迷いながら歩いていると、いつの間にか部屋の前まで来てしまった。
「あー、コホン」
ノックをする前になんとなく咳払いなどをしてみる。すると、部屋の中で人の気配がした。
「……中尉さんですか?」
扉の向こうから司祭の声がした。意外と明るいその声にリシュアはほっとする。
「お邪魔をしてすみません。少し早めにお茶の準備が出来ましたのでお迎えに参りました」
扉が静かに開く。少し目を伏せた司祭が立っていた。何と声をかけようかとその姿を見つめていると、司祭は僅かに顔を上げ、上目遣いにリシュアを見上げた。
「昨日は有難うございました」
そう言って小さくお辞儀をする。再び上げた顔ははにかむように微笑んでいた。リシュアの肩から力が抜けた。
「いいえ。お役に立てれば幸いです。これからは何でも遠慮なく仰ってください」
自然と司祭の肩に手を置いていた。親密になってきたとはいえ、今までは何となく距離を感じて気軽に触れることなどできなかった。だが今の司祭からは以前のような緊張した空気は感じられない。司祭はじっとリシュアの目を見つめた後、静かに頷いた。
キッチンに行くと、クッキーの焼ける甘い香りが立ち込めていた。
「もうすぐ焼きあがりますよ」
イアラはオーブンを覗き込んでいる。司祭はキッチンに用意されていた道具を使って手早く紅茶を煎れはじめた。
「今日は暑いのでアイスティーにしましょうね」
司祭が言うと、イアラは頷いて氷を運んできた。赤い液体が透明な氷を伝い、ガラスのポットの中で色鮮やかに冷やされていく。
お茶の準備が整った頃、丁度クッキーが焼きあがった。スライスしたアーモンドが練りこまれた生地をざっくりとまとめて焼いた素朴な菓子だ。
「なかなかうまく出来てるわね。ひとまず合格といったところかしら」
イアラがリシュアに向かっていたずらっぽく微笑んだ。
「先生がいいからな」
司祭の椅子を引きながらリシュアも笑みを返す。
「ふわぁー。あっちい。喉渇いたぁ」
勢いよく裏木戸が開いて、正面の庭からロタが姿を現した。
「お疲れ様ですロタ。精が出ますね」
「あっ、し、、司祭様。いらしたんですか。……あはは、訳ないですよ、このくらい!」
優しく微笑む司祭の姿を認めて、ロタが真っ赤になる。慌てて手を洗いにキッチンへ駆け込み、汗を拭きながら戻ってきた。
「……そういえばこの勝手口、いつの間にかひっかかりがなくなったなあ」
何気なくロタがポツリと呟くのを聞いて、司祭はリシュアと視線を合わせた後、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「これか? これはな、司祭様がちょちょっと直してしまわれたんだよ」
にやりと笑うリシュアを、ぽかんとした顔で見つめ返すロタ。そんなロタの姿を見て司祭はくすくすと笑った。
「訳ないのですよ、このくらい。ですからこれからはもっと色んな仕事を任せてくださいね」
リシュアの言葉に乗ってすまし顔の司祭が言う。それを聞いてリシュアも声を出して笑った。
「さあ、お茶にしましょう」
皆の笑いが収まったところで静かに司祭が祈りを捧げ始めた。
「いただきます」
冷えた紅茶からは甘い花のような不思議な香りがした。目を丸くしてグラスを覗き込んでいると、司祭が茶葉を入れた缶の蓋を開けて見せた。
「自家製のハーブやフルーツを干したものをブレンドしたのです。いい香りでしょう?」
缶を覗き込むと、黄色や赤、紫の小さな花びらや細かく刻まれたドライフルーツが茶葉の合間から顔を出している。茶葉からも鮮やかな香りが漂い、見た目にも宝石箱のようだとリシュアは思った。
「いよいよ祭りも明日ですね。部下たちも本当に楽しみにしております」
祭りの話題になり、子供たちの表情もさらに明るくなる。
「今日のうちに色々と仕込みをしなくちゃ。軍人さん達は何人参加できるの?」
「秘書も来たいと言っていたから、6人だな。……ほら、前に旅行の絵葉書をお見せしましたでしょう。あの子ですよ」
司祭に向き直って指で四角を作って見せると、司祭はすぐに思い出したようだ。
「そうですか。寺院や史跡がお好きだとか。是非当日は寺院の敷地内をご覧になって頂いて下さい」
「はい、有難うございます。きっと大喜びすると思いますよ」
 その後祭りの話題でしばらく盛り上がった後、お茶の時間はひとまず終わりとなった。
「さーて、残りの雑草をやっつけてくるかー」
ロタが大きく伸びをする。
「随分頑張るじゃない。最近サボってた分を取り戻すつもりかしら?」
イアラにからかわれてロタは真っ赤になる。
「さぼってなんかいないさ! 最近は雑草が伸びなかっただけだって。……でもまた露が降りるようになったみたいだからなあ。伸び始める前に抜いちまっておかないと。庭を荒らして司祭様に恥をかかせるわけにはいかないからな!」
鼻息を荒くしてロタは再び帽子を被って木戸へと向かった。笑顔のままリシュアは司祭の顔に視線を戻し、ふと眉を寄せた。
司祭はやや俯き加減で暗い表情をしていた。
 「どうかしましたか?」
 たずねると同時に、それがロタの発した「露」という言葉のせいだということに気が付いた。霧の夜が明けた後に必ず庭を覆う露のことだ。リシュアの問いに司祭は答えない。彼は黙って司祭の手をそっと握った。すると少し驚いたような表情で司祭はリシュアを見上げる。
 「大丈夫。そう言ったでしょう?」
 リシュアが微笑むと、ようやく司祭も表情をほぐして頷いた。僅かに、ほんの僅かに司祭がその手を握り返してきたように感じた。
 
 
「あら、今日はまた早かったのね。いらっしゃい」
メイアは笑顔で玄関のドアを開けた。
「最近やけに時間通りだわ。どういう風の吹き回し?」
「欠点をなくしてイヤミなくらいにいい男になろうと思い立ってね」
笑みを返して、リシュアは勧められるままに部屋の中へと足を踏み入れた。手にはワインの瓶と紙袋……中に入っているのは美術書。メイアが司祭の願いを受けて図書館から持ち出していたものだ。
「司祭様からお礼のワインを預かってきたよ。ご自分で作られたものだそうだ。本のこと、すごくお喜びだったよ。本当に有難う」
するとメイアはちらりとリシュアを見上げて口の端を上げた。
「あら、どうしてあなたがお礼をいうの? まるで保護者気取りじゃない」
その口調に嫌味さはない。むしろ喜んでいるようにさえ聞こえる。リシュアは何と答えたものかと少しの間沈黙した。するとメイアはくすくすと笑い出した。
「本当にあなたって正直ね。全部顔に出てるわよ」
一体何が出ているというのか。リシュアは更に落ち着きなく目を泳がせ頭を掻いた。そんな様子を笑顔で眺めながら、メイアはリシュアをダイニングに招いた。
「安心して。私も司祭様の味方だから。だからこそこうしてお役に立ちたいと思ってるのよ。それがどんなことだろうと、ね」
何か含みのある言い方が気になった。メイアは何かを知っている。リシュアは咄嗟に探るように彼女の目を見つめた。しかしそのオリーブグリーンの瞳からは何も読み取ることはできなかった。
「まあ座ってよ。少し話しましょう」
メイアはコーヒーを落とし始め、リシュアに椅子を勧めると自分も向かいに座った。テーブルに肘をつき、笑みをたたえて柔らかい視線をリシュアに送っている。髪を下ろし、眼鏡も外していた。仕事中には堅苦しいスーツで包んでいる体のラインも、こうして柔らかなワンピースを身に纏っているととても女性的で魅力がある。これはデートの時にはよく知るメイアの姿だ。しかし今日の彼女は何かが少し違った。人懐こい笑みからは以前僅かに見られた緊張感がない。今まで彼女との間には少しの距離を感じていたが、それがまるで消えうせてしまったかのようだ。すべてのガードを下ろしたような彼女にリシュアは逆に少々戸惑った。
「あー……。どうかしたのか? 今日はいつもと少し雰囲気が違うなあ」
「そう? どうしてだと思う?」
聞き返されて、リシュアは困ったように口の端を上げて頭を掻いた。何と答えようかと考えを巡らせながらメイアの瞳を再び覗き込む。すると、一瞬くらりと眩暈を感じたような気がした。
「ん……?」
眩暈と同時に何かざらりとした感覚にとらわれた。リシュアは少し眉根を寄せ、無意識にメイアから目を逸らす。すると眩暈はすぐに治まった。
「あ、何か感じた? 御免ね」
 メイアは声を潜めて、上目遣いにリシュアの顔を覗き込んだ。
「御免ねって、……何かしたのかい?」
リシュアは怪訝そうにたずねた。するとメイアは軽く肩を竦めて舌を出した。
「うん。ちょっと心を読ませてもらったの。勝手にごめんなさい」
さらりと口にしたその言葉にリシュアはあっけに取られてメイアを見つめた。またいつもの調子で自分をからかっているのだろうか。しかしさっきの眩暈や、彼女の表情から考えてもそれが冗談だとは思えなかった。声を抑えてリシュアはたずねた。
「心を? ……君は、何者なんだ?」
メイアは笑みを崩さずに静かに口を開いた。
「天女のかけら、よ。私も……異能者なの」
「天女……」
乾いた声で小さく呟いた。あまりに突然な告白に、他に返す言葉がなかった。メイアはふいに立ち上がり、出来上がったばかりのコーヒーをカップに注いでリシュアに差し出した。
「ええ。私も司祭様と同じよ。……ううん、司祭様はきっとかけらではなく本物の天女ね。私たちと違ってかなり特殊だもの」
いきなり核心を突くような発言に、リシュアは言葉を失った。司祭が天女だと言い切る彼女は、どこまで真相を知っているのだろうか。それを知った上で何をするつもりなのだろうか。今回の事件のことまで知られているとしたら、自分はどう対処するべきなのだろうか。そんなことが一瞬のうちに頭に渦巻いた。
「やだ。そんな顔しないでよ。大丈夫、私たちは司祭様の味方よ。そしてきっとあなたの、ね」
また目を覗き込まれて、リシュアは無意識に視線を避けて目を伏せた。
「ああ、大丈夫。もう勝手に心を覗いたりしないわ」
メイアはそっとリシュアの手に触れた。白く柔らかいメイアの手が優しく彼の手を握る。
「このことを打ち明ける前に、あなたが本当に司祭様の側にいてくれるのか知りたかったの。私の力は本当に弱いわ。具体的なことを読み取ることもできないし、前もって心を読むことを知らせて緊張されてしまうと、もう何も読み取れないの。だから事後承諾になってしまったけど……。本当にごめんなさいね」
そう言って、もう一方の手でリシュアの手にコーヒーカップを握らせる。リシュアは手に伝わるカップの熱で頭が冴えるのを感じた。コーヒーの香りと熱がリシュアに今の状況を現実だと告げている。リシュアの心に安心と混乱が同時に湧き上がった。異能者と聞けば、確認しておかなければならないことがある。リシュアは思い切って口を開いた。
「まさか、君はイリーシャの……?」
 声を落としてそう聞くと、メイアは朗らかに笑った。
 「違うわ。異能者がみんなイリーシャに入ってるわけじゃないのよ。仲間はいるけどね。私達はイリーシャとは全く関係がないから心配しないで」
 リシュアは静かに頷いた。メイアが異能者だったことは大きな驚きだった。突然心を読まれて、正直気味が悪いとは思う。しかし目の前の彼女に邪念は見受けられない。彼女の言葉をそのまま信じても問題はなさそうだ。リシュアは胸を撫で下ろした。メイアはリシュアの手を両手で包み、そっと撫でながら言葉を続けた。
 「私がさっきあなたから読み取れたのは、あなたが司祭様の秘密をいくつか知っていて、それを守ろうとしていること。そして司祭様を大事に思ってるってことくらいよ」
最後の言葉にどきりとした。彼女はリシュアの司祭への想いをどこまで感じ取ったのだろうか。彼女の言葉を信じて再びその目を覗き込んだが、彼女は微笑んだまま優しく見つめ返しただけだった。

 

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