風が吹く前に 第2部 (23)                       目次

「ラニービャ郡で現地時間本日19時13分に大規模な爆弾テロ事件が起き、先程反乱分子のグレッカ=ラギスが犯行声明を出した。現地は混乱している。旧市街や寺院付近にも略奪や暴動などが起きる可能性がある。直ちに警備を強化し指示を待て」
受話器から聞こえてきたのは、まるで朝礼の挨拶を読み上げるかのように抑揚のない声だった。
 
声の主はジェスコー=ルイ大佐。宝剣「インファルナス」を証拠品として現場から押収していった例の男だ。冷徹無比にして緻密。かと思えば時に大胆な行動に出る有能な軍人だった。しかしリシュアはどうにもこの男が苦手だ。もっともリシュアが苦手ではない上官はオクトくらいのものだろうが。
「参ったな……」
口をついて出た言葉はそれだけだった。眠気のせいもあるだろうが、どうにも実感が湧かない。こんな平和な夜にそんな事件が本当に起きたのだろうか。リシュアの脳裏にはつい数時間前まで皆と楽しんでいたダンスや歌がまだ鮮烈に残っていた。この心地よい疲れと、耳に残る大佐の言葉がどうしても相容れなかった。
リシュアはTVをつけた。流れているのは平凡な恋愛ドラマだ。有名な若い俳優達が手を繋ぎながら歩いている。やはりこちらの世界も平和そのものだ。夢を見ているのだろうかと思い始めた時、画面の上部に白い文字が静かに点滅した。
『キビル村の寺院で19時13分に大規模な爆弾テロ発生。降星祭に参加中の幼児を含む18人が死亡80名以上が重軽傷。行方不明者は50名か。反乱分子のグレッカ=ラギスが犯行を認める声明を発表』
事件を伝える白い文字が、氷を押し当てるように脳裏に焼きついた。そこで初めてリシュアは我に返った。
「馬鹿な事しやがって……」
リシュアは唇を噛んだ。吐き気と怒りが腹の底から湧き上がってくるような気分に襲われる。いやな汗が額に滲んだ。
 
ニュースで伝えられたグレッカ=ラギスは過去の内乱の時にも反乱軍の若き指導者の一人として名を馳せた男だった。当時前線で戦っていたリシュアにも馴染みの名だ。最近では南西部の少数民族をまとめて現政府に対して圧力をかけているという情報が時折流れてはいた。彼が指示したと思われる小規模なテロが起きることはあったが、真相が明らかにならないまま今までうやむやにされてきていた。それに対して軍は圧力を強め、両者が一触即発の状態になっていたのは確かだった。
 
気分を落ち着かせるためにグラスの水をもう一口飲んでから、リシュアは部下達の眠る部屋を訪ねて静かに起こした。そしてそこでは何も言わずに警備室に集め、黙ってTVを見せた。画面は既に緊急特別番組に切り替わっており、現地の映像がライブで流されていた。
既に鎮火はしたものの、まだ黒い煙を星空に舞い上げる古く大きな寺院。壁は大きく崩れて半壊していた。大小の瓦礫とそれを懸命に掻き分ける人々。運び出される人は呻いているものもあればぴくりとも動かないものもある。そして無造作に布をかけられ並べられた遺体。その中には大人の3分の1程の大きさのものもある。報道で伝えられた幼児のものだろう。
「遂にやりやがったか……」
怒りに満ちた様子でムファが呻く。西部のキビルはムファの故郷にも近い。楽天的なムファも流石に表情に余裕がない。
「政府の強硬な態度が仇となったな。グレッカは狂犬だ。叩けば噛み付くのは分かっていただろうに」
ビュッカは静かに息を吐いた。それを聞いてアルジュが冷ややかな表情で頷く。
「ですね。でもそれを分かっていて誰も止めなかった。つまりこれは我々軍人全員の失態ですよ」
重苦しい空気が部屋を包む。ユニーは黙りこくったまま泣きそうな顔でTVを見つめている。
「ここで今更議論しても仕方ない。気持ちを切り替えて警備にあたれ。中央のやつらは現地の収集に追われてるから応援は期待できないぞ。ここはルナス正教の拠点だからターゲットにされる可能性もあるし、強奪が及ぶことも有り得る。さっさと酒を抜いて着替えろ」
わざと厳しい口調で指示したのは、彼らの迷いを消すためだ。今は感傷に浸っている時ではない。自分たちの役割は、そういう人々を守り導くことなのだ。リシュアの言葉に、部下達もようやく我に返ったように動き出した。普段呑気に過ごしている彼らだが、基本はしっかりと叩き込まれた軍人だ。有事に際しては一人前以上の働きをする。
「じゃあ演習通りに配置につけ。定時の連絡を怠るなよ。俺は……司祭様にご報告に行ってくる」
気が重い役目だった。あの楽しい祭りの後に、同じく降星祭を祝っていた人々が犠牲になる事件が起きた事など司祭の耳に入れたくはなかった。
 
皆に聞こえないように小さくため息を漏らして部屋を出ようとした時、それまでずっとTVに釘付けになっていたユニーが悲鳴のような声を上げた。
「中尉……これ見て……」
リシュアが画面を覗き込むと、手ぶれする映像の前面に現地レポーターらしき男が短く叫ぶような声で実況を続けていた。その背後は暗闇で、時々赤や黄色の光が煌めいていた。
「空襲です。今入った情報によりますと、反乱分子が潜む集落に政府軍の報復攻撃が始まったとのことです。後ろに見えるのがその様子です!」
画像も音声も乱れていたが、暗闇に散る光は恐ろしいくらいに美しかった。リシュアは声を失って画面を食い入るように見つめた。
「ダメか。とうとうまた始めやがった……」
ムファが苦々しく吐き捨てた通り、これが4年間収束していた激しい内乱の再開の日となった。
 
 
その日を境に、国内は大きく変わっていった。街には戒厳令が出され、集会は禁じられた。経済も大きく揺らぎ、特に戦地に近い旧市街への影響は大きかった。軍の警戒態勢のおかげで暴動は極力防がれ、学校や商店などの営みはほぼ通常通りに行われた。しかし物価が上がり商品も品薄になった。街は活気を失い、人々の顔もどこか暗かった。そして勿論戦いの渦中となった地域では日ごと激戦が行われていた。
 
カトラシャ寺院はその後事件に巻き込まれることはなかったが、ミサも禁じられ硬く門戸を閉ざしてひっそりと静まり返っていた。司祭の心痛を考えると、傍に付いていたいと思うものの、リシュアにはそれが許されなかった。彼が寺院を訪れることができたのは、唯一新月の前後数日間、例の症状を見守るために寝ずの番をするときだけだった。
 
彼は中央警察機構のオフィスに呼び戻され、長い会議や膨大な書類に時間を費やすことが増えていた。今までなら口実をつけてサボっていたのだろうが、今この現状ではそういうわけにもいかない。そうして1ヶ月が過ぎようとしていた。
 
オフィスのドアをノックする音がする。
「入れよ。面倒だから、もうノックなんかいいぞ」
足音で既にオクトだと分かっていた。しかし、ドアを開けて入ってきたオクトは様子ががらりと変わっていた。さらさらに猫毛をなびかせていた髪は短く刈られ頬も少しこけて、奥目がちになった顔は以前より精悍に見える。
「なんだか随分人相が変わったな」
リシュアは目を丸くして久々に会う友の顔を見つめた。
「最近忙しくてね。旧市街の警備に人手が足りなくてうちの部署からも狩り出されちゃってさ。そろそろ皆限界かもしれないなぁ」
珍しく弱音を吐くところをみても心身ともに限界が近そうだ。
「大丈夫か? あの戦火を潜り抜けておいて過労死なんかするなよ」
軽口ではあるが、心底心配しての言葉だった。それは伝わったようで、ようやくオクトの顔に輝きが戻り笑みが浮かんだ。
「前線送りにされないだけいいさ。今度はかなりキツい戦いだそうだ。ここだけの話、死者の数はこちらが多いようだぞ」
「うへえ。俺もドジ踏まないようにしないとな」
リシュアは肩を竦める。正直彼は前線に出ることは嫌いではない。退屈なオフィスに閉じ込められるくらいなら銃弾の雨の中に放り込まれた方がましだった。だが、今はこの地を離れたくない。司祭に会えなくなる日々など今のリシュアには考えられなかった。
「で? そんなに忙しいお前が世間話をしに来たわけじゃないだろ? どうした?」
コーヒーとソファを勧めて向かい合わせで座る。
「実はな……」
オクトは声を潜めて話し始めた。
「カタリナ=ルミナは覚えてるだろう?」
その名を聞いて、リシュアは少しどきりとした。司祭が起こしたあの事件の関係者。現場にいた一人。マジシャンの美しき異能者。
「ああ、美人は忘れない主義だ。彼女がどうかしたのか?」
「この状態だろ? もう彼女の護衛を続けるのは無理でね。そんなことに人手は裂けないと言われちまったんだ。確かにあれ以来旧市街の事件は起きていないが。でも、安心はできないだろう?」
リシュアは表情を読み取られないように俯いてカップの中を覗き込んだまま話を聞いた。
「街もこの状態だし、実際こっちは仕事がパンク寸前だ。上層部に掛け合うのも難しい。だからさ、お前に個人的に頼めないかと思ってな」
あれは司祭の犯行だ。自分が見守っている間は事件が起きる心配はない。それが分かっていながら、そのことを話してオクトを安心させてやれないのがリシュアは歯がゆかった。
「……分かったよ。彼女のことは任せろ。責任もって守るよ」
本当は不可能だ。司祭を見守りながら同時にカタリナを守ることなどできない。だがオクトの頼みを断ることなどできなかった。どうすればいいのかなど考える余裕もなく、リシュアはオクトに笑みで答えていた。
 
できない約束をしたことでリシュアの心は重かったが、もはや警察にはあの事件を調べている余裕がなくなったことは分かった。それはリシュアにとってはなによりの朗報だ。家に帰ってベッドに横になりながら今後のことを考えて天井を眺めていると、ふいに電話が鳴った。
「……はい?」
「元気? 久しぶりね」
電話の相手はメイアだった。彼女の明るい声に一瞬でリシュアの肩の力が抜けた。
「ああ、君の声を聞いたら元気になったよ。有難う」
本気で言ったのだが、お世辞交じりの軽口ととったのだろう。受話器の向こうでくすくすと笑う声がした。
「どうしてたかなと思って。色々と大変なんでしょう?」
リシュアはくしゃりと前髪を掻き上げた。ゆっくりと息を吐き出す。
「本音を言うとそうなんだ。……それも俺の心を読んでるのかい?」
再び笑い声が起こる。
「いやね。もうしないって言ったでしょう? それに電話越しに分かるほど器用じゃないわ」
リシュアは「そうだな」と口の中で小さく言った。それはメイアの耳には届かなかっただろう。その話をしたときのことが記憶に蘇ってくる。リシュアは黙って自分の膝を見つめた。そしてそのまま沈黙が流れる。
「ん、ねえ、大丈夫? 何か困ってるの?」
リシュアはじっと考えた。もうこの問題を一人で抱えるのは限界なのかもしれない。体を起こし、息を吸うと一気に口にした。
「この前、司祭様の味方だって君は言ったよね。仲間もいるって。それ、信じてもいいかな」
そう吐き出してしまえば、後は楽だった。
「当然よ。どうしたの? 何でも言ってみて」
メイアの声は相変わらず明るい。彼女はいつも変わることがない。
「旧市街にも仲間はいるかい? ある人の警護を頼みたいんだ」
そうしてリシュアは司祭のことは伏せたまま、カタリナ=ルミナの護衛をメイアに依頼した。
「ああ、お安い御用よ。しかもその人も天女のかけらなのね。仲間にできれば私達も助かるわ」
そこまで聞いてから大事なことを思い出し、リシュアは付け加えた。
「ああ、すまない。彼女はどうやらイリーシャの人間らしいよ。それでも構わないかな」
そこで初めてメイアが沈黙した。リシュアは少し不安になり、じっと答えを待った。しかしやはり再び聞こえたメイアの声は明るかった。
「いいわよ。イリーシャの情報も得られるかもしれないし。とにかくその件については安心して任せて頂戴。また連絡するわ」
内乱の再開以来、久々に安堵した微笑みを浮かべてリシュアは受話器を置いた。
 

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