風が吹く前に 第3部 (12)                       目次 

 「さあ、少し狭いがどうだ? 入れるか?」

 リシュアが示したのはぎりぎり人の身長くらいの木箱だ。その中には見事な彫刻が施された、時代を感じる柱時計が横たえてある。

 クラウスは恐る恐る柱時計と箱の隙間に体を滑り込ませた。かなり窮屈そうだが、なんとかすっぽりと入り込むことが出来た。

 「よし。これなら大丈夫だな。息は出来るようにしてあるから安心しろ」

 にやりと笑って蓋を持ち上げると、クラウスも苦笑した。

 「ああ、蓋はちょっと待ってくれ」

 クラウスは慌てて体を起こした。そうして司祭の元へ歩み寄ると、その手に何か握らせる。

 「……これは?」

 司祭が凝視した先には、木彫りの腕輪があった。白く象牙のような木にルニスの花の模様がデザインされて細かく刻まれている。

 「俺が暇を見て彫ったんだ。何もないけど、ラムザ祭のプレゼントにしようと思ってたんだけど……。貰ってくれるかな?」

 司祭は驚いてクラウスの顔を見る。照れたような笑顔がそこにあった。ぎゅっとその腕輪を握り、司祭は嬉しそうに頷く。

 「嬉しいです……。有難うございます。ずっと大事に致します」

 そう言ってすぐにその腕輪に白い手首を通した。サイズは測ったようにぴったりで、色もデザインも良く似合っていた。

 「良かった」

 受取って貰えて満足そうなクラウスと腕輪を交互に見つめた後、司祭は懐から懐中時計を取り出した。蓋の表面に細やかで美しい装飾が施された純銀製の時計だ。

 「代わりにこれを……」

 そう言ってクラウスの手に乗せた。クラウスは驚いてその手を押し返す。

 「こんな高価なもの、受け取れないよ!」

 しかし司祭は微笑んだまま静かに首を振って、更にその手を押し戻した。

 「クラウスさんに持っていて欲しいのです。私が一緒に行けない代わりに、これを持っていて下さいませんか?」

 そう小首を傾げてお願いする姿に負けたのか、クラウスは困ったような笑顔を浮かべながら司祭を見つめ、そしてゆっくり頷いた。

 「それじゃ、有難く頂いていくよ。肌身離さず大事にするから」

 そうして二人は笑顔で見詰め合い、頷き合った。

 

 「あー。……そろそろ出ないと時間がないんだが」

 そんな二人を見るリシュアにはもう嫉妬の心は湧いてこなかった。多少複雑な気持ちは残るものの、所詮はこれで居なくなる相手だ。

 しかしここを出る計画のためには本当にもう時間が限られていた。これ以上ぐずぐずしてはいられない。

 リシュアの声に我に返った二人は小さく頷く。クラウスは再び箱に身を縮め、司祭は多少不安げながらもそれを見守った。

 「ははっ。なんだか棺桶に入れられるみたいだな」

 目の前に迫る木の蓋を見ながらクラウスは愉快そうに笑う。

 「縁起でもないこと言うなよ。蓋を閉めるこっちの気が引ける」

 不機嫌そうにリシュアが言うと、クラウスは再び笑った。その笑顔も暗闇に消えた。閉めた蓋の上から紐でしっかりと縛る。

 裏庭に付けていたトラックに、段差を利用して木箱を荷台に滑らせる。柱時計に大人1人の重さだ。なかなか上がらないのを見て司祭も手を貸し、ようやく積み込むことができた。

 「それじゃあ、行って来ます」

 不安げに見守る司祭に敢えて明るい声をかけてリシュアは運転席に乗り込んだ。トラックは橋の上をゆっくりと進む。午後の風がそろそろ吹き始めようという時間だ。遠くの木々がざわめいている。

 橋の真ん中の検問所でリシュアはトラックを停めた。いつもは素通りできる検問所だが、車で、しかも荷物を積んでいるからには所定の手続きは必要だ。

 助手席の座席の上に置かれていた書類を手に検問所の窓口に歩み寄る。

 「お疲れ様です中尉」

 白髪交じりの中年の警備員が人の良さそうな笑顔で挨拶をする。

 「ああ、お疲れさま」

 挨拶を返して、手にした書類を窓口に出す。寺院から貴重品を搬出する際の申請書だ。

 「柱時計を1台修理に出してくる」

 警備員は書類と、リシュアと、荷台の木箱に目を配る。

 「分かりました。後で修理の報告書を提出して下さいね」

 リシュアは頷いてトラックに戻ろうと踵を返した。

 「あ、中尉」

 呼び止められてリシュアはどきりとする。しかし焦りを見透かされないように平静を装って振り向いた。

 「ん? なんだ?」

 警備員はちょっと言いにくそうに切り出した。

 「あの、疑っている訳じゃないのですが、一応蓋を取って中身を改めさせて頂いても?」

 リシュアの全身から一気に冷たい汗が吹き出した。

 「一応決まりなんですよ」

 警備員はバツが悪そうに愛想笑いをした。リシュアがむっとしたと思ったらしい。

 一方でリシュアは頭が真っ白になりそうになりながらも必死で考えていた。ここで蓋を開けられては全てが終わる。それだけは何としても避けなければ。

 「うーん。しかし困ったな」

 リシュアは頭を掻く。

 「壊れやすい時計だからな、この箱に安定するように収めるのに随分時間がかかったんだよ。開けたらまたやり直しだ」

 こんな言い訳が通るだろうか。しかしこれで通すしかなかった。

 「ほら、午後から雨だっていうしな、ここでまごまごしていて雨にでも当たったら俺が責任を負わされるんだよ。何せ文化財並の品物だからな」

 警備員は渋い顔だ。背中を汗が伝う。

 暫くの沈黙が続いた。リシュアは自分の心音が警備員に聞こえてしまうのではないかと不安になる。それ程に彼は緊張していた。

 警備員が大きくため息をつく。

 「仕方ないですね。そういう事なら。時計が壊れて私まで責任を問われては嫌ですからね」

 にっこりと笑う警備員の顔を見て、リシュアは心の中で大きく安堵の息を吐いた。

 「悪いな。助かるよ」

 人懐こい笑みを返してトラックを再び走らせる。抑えていた鼓動と汗が一気に表に出る。額を流れる冷や汗を袖でぬぐって、リシュアは大きく深呼吸した。

 

 旧市街の人通りのない空き地にトラックを停め、荷台の木箱の紐を解き、中からクラウスを出す。

 「ふう。空気はあっても、箱の中ってのは息苦しいもんだね」

 先ほどのリシュアの気苦労を知ってか知らずか、無邪気に笑いかける。大きく伸びをするクラウスに、そうだな、と返してから木箱にそっと蓋を戻して紐をかけ、時計店に向かう。

 

 大通りに面したいかにも古そうな店構えの時計店。寺院の馴染みの店だ。修理や整備の腕前には定評のある職人が揃っている。

 店の職人達がそっとトラックから柱時計を降ろし、店の中に運び込む。店の壁と言う壁には様々な種類の時計がかかっている。それぞれの針は全て違う時間を指しており、時間の感覚がおかしくなりそうだ、とリシュアはぼんやりと思った。

 「時々針が止まるそうなんだ。点検してみてくれないか」

 ベージュのニット帽を被った店主は緊張気味に箱から出した柱時計に触れ、少し中を弄ってから首を捻った。

 「ちょっと見た感じでは異常はないようですが……少し時間がかかるかもしれないですね。暫くお預かりします。司祭様に宜しくお伝えください」

 時計の故障などただの口実なのだから当たり前だ。しかし何食わぬ顔で頷くと、書類にサインをして店を出た。

 助手席にはクラウスが所在無げに座っている。人目についてはいけないと思い目深に帽子を被らせていたのだが、却ってそれが怪しげに見え、失敗だったかとリシュアは苦笑した。

 「さて、じゃあ今度はお前の番だな」

 再びトラックを走らせ、適当な所に駐車をすると街外れの古い安ホテルに入る。

 

 夕方のホテルのフロントカウンターはチェックインを待つ人でごった返していた。最近は内乱による治安の悪化の心配も減り、安価で旅をする旅行者が再び増えてきた。特に古い街並みを残す旧市街のホテルは人気が高かった。

 客の行列を見てうんざりしたように肩を竦め、リシュアはクラウスに向き直る。

 「こりゃあ暫く駄目だな。並ぶのは嫌いだ。あっちで少し待とう」

 二人は近くのロビーに移動した。色の褪せたソファに座って向かい合う。

 「とりあえずここに暫く身を置いておけばいい。全部話せば自由にしてやる。早く思い出すことだな」

 「うん。色々と有難う。助かるよ。……ああ、そうだ」

 クラウスは真剣な表情になって、身を乗り出した。

 「ねえ中尉さん。フィルアニカさんのこと、本当に気をつけて。あの銃と弾は今はもう作れないものらしいから、あれを奪われない限りは大丈夫だと思うんだけどね」

 リシュアは眉根を寄せた。

 「お前に言われるまでもないさ。あれはどこか湖にでも沈めてくる。二度と人が手に出来ないような所にな」

 それを聞いて安心したようにクラウスはソファに背をもたれさせてにっこりと微笑んだ。

 リシュアがフロントの方を見ると、まだまだ混んでいる。

 「参ったな。ひとまずコーヒーでも飲んで待つか」

 そう言って立ち上がり、ロビーのカウンターに向かおうとした時、一人の男とすれ違った。小柄で黒髪のその男は口元までマフラーを巻き、ポケットに両手を入れて屈みこんで早足で歩いてくる。

 『随分寒がりな奴だな』

 ふと思いながらちらりと一瞥し、そのままカウンターの中の女性に声を掛けようとした時、背後から聞き慣れた大きな音がした。

 パン パン パン パン パン

 乾いたような破裂音。それは銃声だった。

 振り向くと、クラウスがゆっくりとソファから倒れこむ姿が目に飛び込んでくる。

 その傍らで銃を構えて立っているのは、さっきすれ違ったマフラーの男だ。

 「……おいっ!」

 リシュアの全身が総毛だった。

 その声で、弾かれたようにマフラーの男は駆け出した。リシュアはその後を追おうとしたが、思い直して倒れているクラウスの前で立ち止まる。

 「大丈夫か?!」

 抱き起こすリシュアの手が赤い血でびっしょりと濡れている。クラウスは胸や肩に5発の銃弾を受けていた。弾丸で開けられた穴からは今も止まることのない赤い液体が溢れ続けていた。

 「……気、をつけ、て」

 細く開いた目でクラウスはリシュアを見つめて声を絞り出した。

 「救急車を呼べ!」

 駆け寄ってきたホテルの従業員に怒鳴るリシュアの腕を、血に濡れたクラウスの手が掴む。

 「思い……出した。俺は、俺を寺院に送ったのは……イリーシャ、だ」

 その言葉にリシュアは目を見開いた。

 「お前を撃ったのもそうなのか?」

 リシュアの問いかけにクラウスはゆっくりと頷いた。

 「俺はしくじったから……。奴らは失敗した者を許さない……」

 そこまで言って、小さく咳き込むと、クラウスの口から血が溢れた。

 「分かった。後で聞く。今はしゃべるな」

 リシュアは声を掛けながらなんとか止血を試みる。しかしその指の間から溢れる血は床に赤い血だまりを広げていく。

 助からない。リシュアは直感した。

 「時計、は……?」

 もはや力の入らなくなった手をクラウスは胸のポケットに伸ばそうとしている。

 代わりにリシュアは彼のポケットから司祭の懐中時計を取り出し、彼に握らせた。

 「ああ、良かった……壊れてない……」

 クラウスは弱々しく時計を胸の前で握り締め、嬉しそうに微笑んだ。

 そしてそのまま目を閉じて、二度と目覚めることはなかった。

 

 駆けつけた救急隊員がクラウスの死亡を確認した後、遺体は警察の検死に回された。犯人は捕まらず、クラウスも身元不明の被害者として処理された。

 結局彼の本当の名前は謎のままになった。

 

 その日リシュアが礼拝堂を訪ねると、祈りを終えた信者の夫婦が頭を深々と下げて帰っていくところだった。

 その夫婦を見送り、司祭の元に歩み寄る。

 「中尉さん、しばらくお見かけしませんでしたね」

 司祭は柔らかく微笑んだ。クラウスの事件の後、取調べや後始末で数日かかった。引き取り手のない遺体を共同墓地に埋葬したのもリシュアだった。

 誰も参列者がいない埋葬。簡素な棺に眠るようなクラウス。その手には司祭の懐中時計が握らされている。

 蓋が閉まる時に、あの柱時計の木箱の蓋を閉めた時のクラウスの言葉と笑顔が蘇り、リシュアは思わず目を閉じた。

 その後北にある大きな湖に行き、深い所に銃を沈めた。もうこれであの銃が司祭を狙うことはないだろう。

 

 「ちょっと仕事が忙しくて」

 リシュアはにっこりと微笑んだ。クラウスのことは勿論司祭には知らせていない。

 司祭はふと手首にはめられた腕輪に触れる。リシュアがそれに気付いて目をやると、司祭も初めてその行動を自覚したらしい。少し気まずそうに小首を傾げて笑った。

 「奴は元気に街を出ましたよ。今頃国境を越えているかもしれませんね」

 隠しておけるなら、知らせたくない事実だ。クラウスは生きている。そうしておいた方が司祭のためだとリシュアは思ったのだ。

 「そうですか。有難うございます」

  しかし司祭の笑顔はぎこちない。リシュアの気持ちを知りながらも、クラウスに心が傾いていたことに罪悪感のような感情を持っていた。リシュアにもそれは手に取るように分かっていた。

 

 リシュアは司祭の手を取った。白い腕輪が揺れる。

 「あいつの事、忘れないでやって下さい」

 司祭は驚いたようにリシュアを見つめた。

 「私はそれでも構いません。あなたが思い、感じたこと全てがあなた自身です。私はその全てを含めてあなたを想っています。私はいつでもあなたの傍にいますから」

 司祭はじっとリシュアの目を見上げる。その瞳から涙が零れ落ちた。

 「すみません……。有難うございます。私は……」

 リシュアは泣き出した司祭を前に戸惑っていたが、静かに司祭の体を抱き寄せた。

 「ああ、泣かないで下さい」

 何と声を掛けていいのか分からなかったが、とにかくなだめる様にその背中を撫でた。

 「はい。……はい」

 小さく何度も頷きながら、司祭は涙を拭った。細長い指が動くたびにその手首の腕輪が踊る。リシュアは目を細めた。そんな手首さえもが愛おしかった。

 そっと手を握り締め、頬に優しくキスをする。そうしてクラウスの腕輪ごと、司祭を強く抱き締めた。

 

 その背後で、息を飲む音が微かに聞こえた気がした。リシュアの血が引いた。見られてはいけない場面を、一体誰に見られたのか。

 慌てて振り向いた視線の先には、ルニスの花束を手にしたアンビカの姿があった。

 

 

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