風が吹く前に 第3部 (4)                       目次 

 

 静かな、静かな秋の午後に、落ち葉を掃く音だけが響いている。 
 寺院の庭は広い。門をくぐって正面は芝生の庭。左手から入る裏庭は果樹園になっている。そして逆の右側には花壇や花のアーチがあり、そこを抜けると塔の前の広場に出る。広場の周りにはカヴァスという背の高い広葉樹が植えられている。
 
 秋も深まると、このカヴァスは沢山の葉を落とす。庭の手入れは普段ロタが全て行っているが、この落ち葉掃きだけは主に司祭の仕事となっていた。
 庭が冬を迎えるための準備で忙しいロタを思って、司祭がロタを説き伏せて自分の仕事にしたのだった。
 今日、そうして庭を掃く人影は2つあった。
 秋風に栗色の髪をなびかせている司祭と、それよりも長身でぎこちない動きの影。カスロサ=リシュア中尉だ。
 リシュアは慣れない動作で葉を集めながら、時々司祭の方に目をやった。
 秋の日差しに透けた髪は紫がかった黄金の糸のようで、冷えた頬はわずかに赤みが差している。風に踊る葉を集めていく作業は司祭にとって楽しい仕事らしく、せっせと腕を動かし、口元は僅かに微笑んでいた。
 そんな様子を酷く愛らしいと思いながらリシュアも口元を緩め、再び作業に戻る。広い広い庭の葉を全て集めるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
 
 
 「そろそろお茶にしましょうか」
 司祭がふと顔を上げて微笑んだ。
 夕日を背にした司祭の笑顔をまぶしそうに目を細めて見てから、リシュアは頷いて大きく伸びをした。
 掃き終わった落ち葉の山を麻袋に詰めて口を結ぶ。大きな袋が5つ並んだ。それでも庭にはまだ沢山の葉が積もっており、更にその上に新しい葉を散らしている。リシュアは少し恨めしそうにカヴァスの木を見上げた。
 「落ち葉は私が運びますから、先に行っていてください」
 リシュアが言うと、司祭は素直に頷いてリシュアの手から箒を受け取った。箒を渡す時に、一瞬手と手が触れる。リシュアはそれをそっと捕らえて静かに握った。
 司祭は一瞬驚いたようにリシュアを見上げたが、すぐにその顔ははにかむような微笑に変わり、そっとその手を軽く握り返した。少しの間視線を交わし、ふと辺りを気遣うように見回す。そうして司祭は二本の箒を手にしたまま踵を返し、裏庭に向かって歩き出した。
 
 その後姿を目で追って、リシュアは満足そうににっこりと笑顔を作る。
 二人が想いを通じ合わせていることは誰にも知られてはいけないことだ。司祭は現在のところ戸籍上は男性であるし、そもそも立場も身分も違いすぎた。決して許されることのない想いなのだ。
 しかしリシュアはそれを気にはしていなかった。誰かに祝福されたいわけではない。ただ、こうして一緒に居られるだけで幸せを感じることができるからだ。
 司祭の姿が見えなくなるまでじっとその後姿を見送ってから、リシュアは麻袋を担いで裏庭に向かった。
 
 
 「だんだんと風が冷たくなってきたわね」
 お茶の準備をしながらイアラがロタに声を掛けた。
 「剪定も急がないと今年は早く冬が来そうだなぁ。……あ、司祭様。お疲れ様でした」
 丁度外に目をやった時、司祭が木戸から姿を現した。
 「ああ、もう準備をしていてくれたのですね。有難う」
 箒を所定の位置に戻し、掛けてあったビロードのローブを纏ってキッチンに入る。
 「お疲れ様でした、司祭様。今日はアップルティーにしようと思うんですけど、いかがですか?」
 イアラの笑顔に微笑みを返して頷くと、司祭も準備の手伝いを始める。キッチンの奥からはチーズケーキの焼ける良い匂いが漂ってきていた。
 
 「おーい。落ち葉はここでいいのか?」
 遅れてやってきたリシュアの声がする。ロタは外に出て指示を始めた。
 「4つはそっちに積んで。1つはここに置いといていいよ。今日はお茶を飲みながら落ち葉焚きをするからな」
 「はいはい。りょーかい」
 そろそろこの二人のコンビも馴染んできたようだ。司祭は嬉しそうにそんな様子を見つめている。
 血の繋がらない4人だが、まるで本当の家族のようにさえ見える。そんなことが、家族を失った司祭には大きな幸せに感じられるのだった。
 
 
 お茶を楽しむテーブルの位置は、季節によって移動する。夏は日陰の風通しの良い所だったが、今は風を避けて日の良くあたる場所にセットされていた。
 4人は早速準備を終えたテーブルを囲み、午後のお茶を楽しんだ。冷えた体に熱いアップルティーが沁みるように美味しく、焼きたてのチーズケーキは薫り高く濃厚な味で、寒い季節にはとても良く合った。
 「子供達は今頃楽しんでいるでしょうか」
 司祭は遠くを見て目を細めた。
 新たに寺院に来た子供達は、今日はボランティアの好意で朝から動物園に出掛けている。イアラも久しぶりに子守から開放されて心なしほっとした様子だ。
 
 「そろそろ落ち葉焚きをしますか?」
 ロタが立ち上がって準備を始めた。先ほどリシュアが運んできた袋を一つ開け、テーブルの近くに小さな落ち葉の山を作った。
 「今、ここでやるのかい?」
 リシュアは意外そうにその様子を覗き込んでいる。そんなリシュアを見てにこりと微笑み、イアラはキッチンから壷の形をした籠を運んできた。
 ロタが落ち葉に火をつけると、白い煙を上げて燃え出した。火の粉が舞わないように慎重に木の葉をくべながらロタは火の番をする。
 「ああ、暖かいですね」
 司祭はオレンジ色の炎を見つめて微笑んだ。いつしか皆が火を取り囲むように集まっていた。
 「ここで、これを焼くのよ」
 先ほどの籠からイアラが取り出したのは5cm位の涙型をした木の実だ。こげ茶色のつやつやとした肌にまだらの模様がついている。
 「なんだこりゃ」
 リシュアは初めて見るその実に目を丸くした。まるで爬虫類の卵のようにも見える。
 「カカの実よ。この寺院の林で拾ったの」
 そう言ってイアラはその木の実を焚き火の中に放り込んだ。赤い火の粉がふわりと舞う。
 「へぇ、なるほど。こりゃ楽しそうだ」
 イアラはキッチンから火かき棒を持ってきて司祭に手渡した。
 
 暫くすると、焚き火の中からパチリパチリと弾ける音がする。ほんのりと芳ばしい香りも漂ってきた。
 「そろそろ焼けたようですね」
 そう言って司祭は火かき棒で焚き火の中から焼けた木の実をはじき出す。それを拾い上げて、手の平でかちりと割った。そうして中身を取り出すと、そっとリシュアの手の上に乗せる。
 「召し上がってみてください。美味しいですよ」
 司祭の微笑みにつられるようににっこりと笑って頷くと、まだ熱いその木の実を口に入れた。
 芋のようなほくほくとした歯ごたえとナッツのような芳ばしい甘みが程よく、素朴ではあるがとても美味しいとリシュアは感じた。
 
 「数代前の司祭様がこの実がお好きで、異国から取り寄せて裏の林に植えたのだそうです。私もよく先代の司祭様にこうして焼いて頂いて食べたものです」
 司祭は次々に木の実を割って皆に配る。皆夢中になってカカの実を頬張った。
 ふと、リシュアも木の実を割ってみようと思い、転がり出てきたカカの実に手を伸ばす。
 「……熱っ!」
 掴んだ手を、慌てて引っ込めた。
 カカの実は焼けた石のように熱かった。リシュアは自分の手を見る。掴んだ指先は真っ赤に火傷をしていた。
 「大丈夫ですか?」
 驚いて司祭が覗き込み、イアラは慌てて冷たいタオルを持ってきてリシュアに手渡した。
 「……こんなに熱いのに……。司祭様は平気なんですか?」
 心配になって司祭の手を引き寄せて見るが、指先はほんのり赤くなっているだけだ。
 「どうやら私は痛みや熱さにも少し鈍いようでして……」
 司祭は困ったように苦笑した。リシュアは司祭の体質を思い出し、改めて驚愕した。痛みを感じず、傷もすぐに治癒してしまう。明らかに他の「天女のかけら」達とは違っている。少し気まずそうに伏せた目をリシュアはじっと見つめた。
このフィルアニカという人は、一体何者なのだろう。
 彼はふと、あの夜に塔の中で聞いた言葉を思い出していた。
 『本当に、全てを知るつもりですか? 私に関わることに後悔はありませんか?
 あの時自分は後悔はしないと答えた。今でもその気持ちに変わりはない。
 「それなら、良かったです。ではカカの実を割るのはお任せしますね」
 リシュアはにっこりと微笑んだ。司祭もその言葉にほっとしたように笑みを返す。
 再び和やかな空気が4人を包んだ。
 
 1袋の落ち葉を焼き、籠の中のカカの実を全て火の中に入れた頃、皆のお腹も満たされていた。そろそろお茶会もお開きのようだ。
 「こちらは是非皆さんに差し上げてください。冷めたらオーブンで温めるといいですよ」
 司祭は出掛けている子供達の分を取り分けて、残りを袋に詰めるとリシュアに手渡した。
 「有難うございます。遠慮なく頂きますよ」
 そう礼を告げて警備室に戻ろうとした時、木戸の向こうから賑やかな声と足音が響いてきた。
 
 「司祭様、司祭様。ただいま!」
 「イアラおねえちゃん、お弁当美味しかったよ!」
 動物園に行っていた子供達が戻ってきたのだった。寺院は再び託児所のような賑やかさに包まれた。
 「あのね、あのね。お口がこんなに大きいの。手がこんなにちっちゃいのにね、上手に泳ぐんだよ」
 ロタのことがお気に入りな5歳のマチュアは、動物園で描いたワニの絵をロタに見せながら一生懸命解説をしている。
 「へぇ、上手に描けてるなぁ。今にも動き出しそうだよ」
 ロタも顔を綻ばせてマチュアの頭を撫でている。
 急に訪れた喧騒に飲まれてしばらく無言で固まっていたリシュアだったが、ふと少し離れた所でもじもじとしているニースに気付く。
 赤毛の少年はやはり自分で描いたらしい絵を手にしたまま、ボランティアの女性と話している司祭の後ろ姿を見つめている。
 「どうした? 司祭様に見せたいのか?」
 リシュアがぽんと赤毛の頭に手を載せると、ニースは振り返って小さく頷いた。
 
 「司祭様?」
 リシュアはニースを伴って司祭に近づくと会話の切れ目を待って声を掛けた。
 ボランティアの女性も少年の様子に気付いたようで、暇の言葉を告げて寺院を後にした。
 「ああ、ニースお帰りなさい。動物園は楽しかったですか?」
 司祭が微笑んで抱き寄せると、ニースは嬉しそうに頷いて先程の絵を手渡した。絵には嘴と尾の長い青い鳥が数羽描かれていた。
 「とってもきれいな鳥がいました。ツィー、ツィーと鳴いて、とても可愛かったです。司祭様はご覧になったことがありますか?」
 司祭はその絵をまじまじと見つめてから、嬉しそうに微笑んでそっとニースの髪を撫でた。
 「ああ本当に。とても綺麗な鳥ですね。この辺にはいない鳥なのでしょうね。初めて見ましたよ、ありがとうニース」
 それを聞くと、ニースは目を輝かせて胸のポケットから青い羽根を取り出した。
 「これ、拾ったんです。司祭様に、お土産です」
 それは輝くような瑠璃色の鳥の羽根だった。リシュアも見たことがない色をしていた。受け取った司祭は吸い込まれるようにその羽根に釘付けになった。
 「これは……本当に綺麗な色ですね。ありがとうニース。何よりのお土産です」
 ぎゅっと抱き締められて、ニースは少し恥ずかしそうに笑って頷いた。
 
 「司祭様は本当に鳥がお好きなのよね」
 いつの間にか後ろに立っていたイアラがその様子を微笑みながら見つめていた。
 「へぇ。そうなんだ」
 生き物が好きだということは知っていたが、特に鳥が好きということは初めて聞いた。そういえば時々庭に遊びにくる小鳥を見つめて微笑んでいたな、とその時の様子を思い出して納得した。
 「鳥がお好きならば寺院で飼ってはいかがですか? 手乗りの小鳥などは懐いて愛らしいと思いますよ」
 何気なくそう声を掛けてからリシュアはしまった、と表情を硬くした。
 その言葉を聞いた司祭の様子で思い出したのだ。
 新月の夜に彷徨っては生き物を殺めてしまう司祭のことを考えれば、まず初めに飼っている生き物が標的になってしまうのは容易に予想がついた。
 司祭は少し青ざめた顔で悲しげに微笑んで目を伏せていた。イアラは責めるような目でリシュアを見上げている。
 「……すみません。余計なことを……」
 リシュアは口ごもりながらそう言うと、逃げるようにその場を後にした。
 
 

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