風が吹く前に 第3部 (5) 目次
警備室に戻ると、開けたドアの前でビュッカとぶつかりそうになる。
「おっと」
「ああ、すみません中尉。今探しに行くところでした」
少し緊張したような部下の様子をいぶかしんでいると、小さなメモを渡された。
「フォンス中将閣下からのご伝言がありました。すぐに閣下のオフィスにお顔を出して欲しいという事です」
丁寧な字で書かれたメモをぴらりと振って、リシュアはふん、と鼻を鳴らした。
「またあのジジイか。あいつに呼ばれるとロクな事がないからな……」
上司の暴言を聞かぬ振りで目を伏せたままビュッカは続けた。
「お急ぎらしいですから、差支えがなければすぐにお出になってください。こちらは先程ムファに召集をかけましたのでご心配ありません」
卒のない対応に苦情を挟むこともできず、リシュアは小さくため息をついて出掛ける準備を始めた。
「ああ、これは司祭様から頂いたものだ。温めて食べるといい」
カカの実が入った袋を手渡すとコートを掴んで警備室を後にした。
「あら。また珍しい人が来たわ。最近随分とご無沙汰じゃない?」
中将のオフィスの前に座っている秘書が含みを持たせたような笑みを浮かべてリシュアを迎えた。
「花から花への生活はもう止めたのさ。残念だが、これからは良い友達として宜しく頼むよ」
リシュアの笑顔を少し意外そうに見つめてから、秘書は残念そうに微笑んだ。
「あら。そうなの。落ち着くにはまだ早いと思うけど?」
その言葉に微笑みで返して、リシュアは中将のオフィスの前のドアへと向かった。秘書が仕事の顔に戻って中将に取り次ぐ。
「入れ」
低い声が中から響いてきた。
「失礼します」
ドアを開けて、緊張の様子もなくリシュアは部屋の中央に進む。
中将のオフィスは以前訪れた時とは若干様変わりしていた。壁には内乱の起きている西部の航空写真や地図などが貼られ、デスクにも報告書の山が詰まれている。
「寺院は変わりないようだな。お前にしては良くやっている」
「有難うございます。寺院の生活も、まぁ悪くないですよ」
にやにやと返すリシュアをじろりと睨んだ後、中将はデスクの上に置かれていた書類をリシュアに向けて差し出した。
「辞令だ」
リシュアは陸軍の紋章の透かしの入った厚手の紙を片手で受け取った。
「……はぁ?」
ざっと目を通した後、素っ頓狂な声を上げて再び辞令をまじまじと読み返す。
「……パレード?」
眉根を寄せるリシュアを冷ややかな目で見ていた中将がうんざりしたように答えた。
「年明けの凱旋パレードだ。今年は特別にお前に一任されることになった。通常は士官以上の者にしか与えられない名誉な仕事だが、今回特別にお前に決まった。有難く任に就くように」
そうして指でドアを指し、退室を促した。しかしリシュアは動かずに渋い顔のまま辞令と睨めっこをしている。
「……お言葉ですが中将閣下。俺は寺院の方が忙しいですから、そういう名誉ある任務は他に回してやって下さい」
その言葉に、中将は耳を疑い、激昂した。
「何を馬鹿な事を言っている! これは辞令だ! お前の意思など関係ない。黙って任に就けば良いのだ!」
普通の将官や士官からも恐れられている気難しいこの中将に大声で叱咤されても、リシュアは相変わらず応えた様子もない。渋い顔のまま小さくため息を漏らし、ぽりぽりと頭を掻いている。
「そう言われましてもねぇ……。大体パレードなんてやる意味があるんですか?」
これには中将も言葉を失い、顔を赤くして黙り込んだ。
「……もういい。お前と話していると頭が痛くなってくる。つべこべ言わずにそれを持って帰れ」
そうして犬でも追い払うように手を振って背を向けた。リシュアもこれ以上食い下がるのは諦めて、大袈裟な程にうやうやしく礼をすると部屋を後にした。
帰り際に、オクトのオフィスを訪ねてみることにした。お互い忙しく、近頃はなかなか顔を合わせることもなかった。
「オクト、いるかー?」
いつもの如くノックもなしにドアを開ける。そこには久しぶりに会う友の顔があった。
「ああ、リシュア。聞いたよ。おめでとう」
オクトは温和な笑みで友の突然の来訪を迎える。
一時はすっかりやつれていた姿も、少しは以前の姿に戻ってきているようだ。リシュアは内心ほっと胸を撫で下ろした。
「開口一番それかよ。相変わらず情報が早いな」
呆れたような顔で先程受け取ってきた辞令をオクトに手渡す。オクトはにこやかに頷いて受け取ると、嬉しそうにそれを見つめた。
「俺も市街の警備に関わるからな。それに、異例の抜擢だってことで、もうあちこちで噂になってるぞ。無事に終えれば即昇進間違いなしだな」
ぽんと手を置かれた肩を竦めてリシュアは口をへの字に曲げる。
「お前を見ていると昇進するのもどうかと思うよ。なんでそんなになるまで仕事を抱えこむんだ? 身を削ったところで給料は変わらんぞ」
それを聞いてオクトは白い歯を見せて笑う。
「ははは。お前らしいな。……俺はどうやら仕事の虫らしい。動いていないと落ち着かないのさ。でも最近有能な部下を3人もつけてもらってね。おかげで仕事も随分と楽になったよ」
奥からオクト付きの秘書がコーヒーを持って姿を現した。すらりとした金髪の美女である。以前はよくリシュアが羨ましがり、「秘書を交換しよう」と半分本気の冗談を言っていたものだった。
「首都圏内は落ち着きを取り戻したから俺の担当する部署も平常に戻りつつあるがな。実際のところ西部での戦況は芳しくないようだな」
熱いコーヒーを一口飲んで、ゆっくりとオクトが切り出した。
「前回の内乱の時よりも、敵勢力は物資や武器を溜め込んでいたみたいだな。軍も今回は交渉に応じる気は全くないようだしなぁ。長引けば被害は甚大になるんじゃないか?」
リシュアも軍人として内乱の様子が気になってはいた。今回の内乱はきな臭い噂が常に付きまとっている。軍があまりにも早く制裁攻撃を行ったことが一番の理由だ。
今回の内乱は軍がわざとテロを見逃して、制裁の理由に仕立てたのではないか。世間ではそういう見方が強い。
しかしその割りにはその後の苦戦で軍は苦しむこととなっている。噂が噂で終わっているのはこの辺りに理由がある。
「ゲリラ戦は過酷だからな。平和に慣れた世代の若い兵士には少々荷が重いのかもしれないな」
オクトがそう漏らすのを聞いて、リシュアも当時のことを思い出していた。
ゲリラの戦士には一般の市民に紛れて生活している者も多い。ある日夜襲にあったリシュアが、大怪我を負った末に仕留めた敵は、日頃から懇意にしていた酒屋の親父だった。
「市民と敵の区別がつきにくいからな。余程気を引き締めていないと背中を狙われちまう」
リシュアはコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「これからちょっと用事があるんだ。少しでも話せてよかったよ。あんまり無茶すんなよ」
オクトは座ったまま穏やかな笑みを湛えて頷いた。
「ああ、そういえばカタリナの件は世話になったな。またこちらで警備できるそうだ。本当に助かったよ」
カタリナ=ルミナ。旧市街に住む異能者。オクトに相談されて、警備を司書のメイアに依頼していたのだ。
最近は慌しく、メイアにも会っていない。礼を兼ねて職場を訪ねてみようかとリシュアはふと思った。
「貸しはそのうち倍にして返してもらうさ。じゃあな」
軽く手を上げてリシュアはオフィスを後にした。
車は旧市街の大通りを抜け、郊外に走ってルーディニア子爵家の屋敷の門をくぐる。リシュアは姉のサリートから呼ばれていたのだった。
父の容態は安定していたので、悪い話ではないはずだ。たまには姉弟で話をするのもいいだろうと、リシュアは新都心の人気の菓子を沢山抱えて実家を訪れた。
「ああ、リシュア様。お帰りなさいませ」
ファサハが白い手袋で車のドアを開ける。そのファサハに菓子を預けてリシュアは屋敷のリビングに向かった。
リビングでは紫紺のドレスに身を包んだ姉が待っていた。
「カスロッサ。お帰りなさい。元気そうですね」
「姉上もお変わりなく。父上はその後お加減いかがですか?」
コートを脱いでソファに座ると、メイドが紅茶を運んできた。向かい合って座り、姉弟は微笑みを交わした。
「ええ、体力も戻って来られたようで、最近は陽気のいい日に庭にお出になることもあります」
「良かった」
リシュアは安心したようにソファに背を預ける。サリートも嬉しそうに頷いて紅茶を口に運んだ。
「今日呼んだのは他でもありません。夫とも相談したのですが、貴方の今後についてです」
「今後?」
突然切り出されて、リシュアは首を傾げる。
「ええ。軍にいることは分かっています。もう既に噂にもなったことですし、それについては不問にします。安心なさい」
軍人であることを隠していたつもりもないが、今こうして改めて話題に出されると若干気まずい気分になる。
20年前にクーデターを起こして貴族や皇帝を陥れ、以後今に至るまで貴族達に圧力を掛け続けている軍はやはり貴族にとっては敵なのだ。
嫡男でありながら勝手に家を飛び出し、その軍に入った行為は家族からも裏切りと見られても仕方のないことだろう。
「色々とご迷惑をお掛けしました。でも、今はこうしてなんとか……」
「いいのです。それよりも大事なのは今後の話です」
リシュアの謝罪の言葉を遮り、姉は鋭い視線をリシュアに投げかけた。
「屋敷にはまだあなたの部屋もそのまま残してあります。引越しは年末が嫌なら年明けでも構いません。人手もこちらで出しますからいつでも好きなときになさい。仕事も好きなものを選べばいいでしょう。農場の経営でも製糸工場の役員でも何でも構いません」
リシュアは目を丸くして、今耳に入ってきた言葉を頭の中で反芻した。
「……何を……」
「好きになさいと言っているのです。夫も父も賛成しています。気にすることはありません」
そう言って、姉は優雅にリシュアの土産の菓子を口に運んだ。
リシュアは戸惑いながらも笑みを崩さないように努めた。
「ああ、それは分かるけど。俺は今の仕事にも満足してるし、住んでるところも悪くないよ。ここにだってこうして時々会いに来れば……」
「カスロッサ」
姉はその言葉を遮った。その声は静かながらも断固とした響きに満ちていた。
「軍などに使われてあんな新都心のような下品な街に住むなど、ルーディニアの人間として恥ずべきことです。つまらない愛着など持ったところで何の意味もないのですよ。今までの生活は悪い夢だと思って忘れなさい」
凛とした緑色の瞳がリシュアを射抜く。リシュアは思わず言葉を失った。
「……そんな言い方ないだろ? 俺だって今までそれなりに必死で……」
反論するリシュアの声が聞こえていないかのように姉は優雅に立ち上がり、窓に近づいてカーテン越しに外を見つめた。
「今の言葉は聞かなかったことにします。父上にはあなたは快く承諾したと伝えましょう。子供のように駄々をこねるのではありません」
そうしてゆっくりと振り返り、自信に満ちた笑顔でリシュアを見下ろした。
その様子を呆然と見つめながら、ようやく我に返ったようにリシュアの心に感情が湧いてきた。
それは、純粋な怒りだった。
「……そう、やって……。いつも勝手に決めるんだな。いつでも自分達が正しいのか? 貴族はそんなに偉いのかよ!」
リシュアは思わず立ち上がっていた。
自分が貴族を忌み嫌う理由。それをようやく思い出したような気分だった。
父の病気のことで、なし崩しに出戻ってきた実家ではあったが、結局何も変わっていないのだ。彼らは彼らが正しいと思ったことをいつでもこうして恩着せがましく押し付けてくる。
まるで貴族が特別な人間ででもあるかのように。全ての審判を下す権利を持っているかのように。
「落ち着きなさいカスロッサ。いい大人がみっともない」
姉は抑揚のない声で短く叱咤した。それが更にリシュアの怒りに火を注ぐ。
「……帰ってくるべきじゃなかった。結局何も変わってないんだ。どうしてクーデターの時に貴族達は世間の支持を得られなかったのか。何も分かっていないじゃないか。あんなに色々犠牲にしたのに、まだ気がつかないのか?」
こみ上げる怒りを声に込めて姉にぶつけるが、サリートは駄々をこねる子供でも見るかのような冷めた目をして黙っているだけだった。
「俺はもうルーディニアの名前を捨てた。貴族が変わらないうちは俺は二度とここへは戻らない」
リシュアはコートを引っ掴んでそう言い捨てると、大またで部屋を出た。
部屋の外には声を聞きつけたファサハがおり、おろおろと背を丸めてリシュアを制止する。それには一瞥もくれずにリシュアは車に乗り込むと寺院へ向けて車を急発進させた。
ファサハは遠ざかる車を、その姿が見えなくなるまで悲しげな目で見送っていた。
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