風が吹く前に 第3部 (7)                       目次 

 心細そうに立っていたユニーを連れて警備室に戻る。中にはアルジュが待っていた。
 「中尉、いらしてくださって助かりました。これが今検問所から受け取ってきた名簿です」
 アルジュが差し出したのは、検問所を通る際に記名する名簿だ。通った時間と氏名が書かれ、帰る際にチェックマークを記す。今日の来訪者の中で1箇所だけチェックのついていない名があった。
 「ライザ=クラウス、か。男だな」
 「はい。20代くらいの黒髪の男だったそうです」
 もちろん検問所の警備員がチェックを付け忘れただけという可能性もある。だが侵入者がいる可能性も消えないうちはやはり油断ができない。
 「アルジュ。名簿を返してその後動きがなかったか聞いて来い。ユニーは子供達のところに行って事情を説明してこい。一箇所に集まって鍵を閉めておけとな。ただしあんまり怖がらせるなよ」
 短く指示を与えて、ビュッカとムファの家に電話をかける。寺院内は広い。捜索するには人手が多いほうがいい。
 即座に電話に出て対応したビュッカと、すっかり寝入っていたようで寝ぼけた声のムファにそれぞれ状況を説明してすぐに来るように指示をする。
 「さて、そろそろ司祭様の所に行かないとな……」
 時計を見て呟いた時、壁に掛けてあった無線機から切羽詰ったようなユニーの声が響いてきた。
 「怪しい人影を発見しました! 現在地は寺院正面入り口から南に200m付近の木立の中です」
 聞くと同時にリシュアは懐中電灯と無線機を手に駆け出していた。
 
 「見つけたか?」
 遠くにユニーの姿を認め、駆け寄って訪ねる。
 「追いかけたんですが、この辺りで見失っちゃいました。暗くてあまり良く見えませんでしたが、多分黒髪の男だったと思います」
 申し訳なさそうにおずおずと報告するユニーを責める風でもなく、リシュアは辺りをぐるりと見渡した。
 深夜ともなると寺院の庭は暗い。ましてや今は新月だ。寺院から漏れる明かりだけでは限界があるだろう。探索は容易ではなさそうだった。
 「ここからだと林が近いな。あっちに逃げ込んだ可能性が高いだろう」
 前方に広がる広い林を見つめてリシュアは目を細めた。
 そうしているうちに無線を聞いたアルジュもやってきた。
 「林に逃げ込んだとしたら厄介ですね」
 黒髪の少年兵はいつもながらの感情のこもらない口調で短く呟いた。
 
 「とにかく二人が来るまで3人で探すしかないな。ユニーは西から、アルジュは東から回り込め。俺は真っ直ぐ進む。見つけたら捕まえろ。抵抗したら発砲しても構わん。だが、殺すなよ」
 3人はそろりそろりと足音を忍ばせて林へと分け入った。落ちた枯葉や枯れ枝を踏む音だけが響く。不気味なほどに風は止んでおり、時折梟の声がどこからともなく聞こえるだけだった。
 「なんだか薄気味悪いなぁ」
 ユニーが口をへの字にして、きょろきょろと見回しながら進んでいく。首を竦めて腰は完全に引けている。
 暫く歩いていくと、前方から微かに音がしたような気がした。ユニーの心臓がどきどきと鼓動を早くする。
 遠く暗い木立の間から、何かが動く気配がした。
 「と、止まれ! そのまま動くな! う、動いたら、撃つぞ!」
 ユニーは銃を構えて早足でその影に向かって行った。それは、やはり人影だった。手に何かを持っている。人影は手に持ったそれを顔の前まで持ち上げた。
 -------銃だ!
 ユニーは総毛立って夢中で引き金を引いた。しかしカチリという音がするだけだった。焦ったユニーは何度も何度も引き金を引く。カチ、カチと林の中に空しい音が響き渡った。
 「ちょっと。僕だよ」
 その時、ユニーの腰に付けた通信機から呆れたようなアルジュの声がした。
 「……え?」
 パニックを引き起こしかけていたユニーは、友人の声でようやく我に返る。
 前方の人影が近づいてくる。それは無線機を持ったアルジュだった。
 「全く。もうちょっと落ち着いて行動して欲しいものだなあ」
 アルジュは冷めた目でユニーを見つめて小さくため息をついた。
 続いて駆けつけてきたリシュアも苦笑して二人の様子を見ている。
 「なんで真っ暗な所を歩いてるんだよ! 懐中電灯どうしたんだよ!」
 一気に緊張が解けたユニーは、今度は恥ずかしさで真っ赤になってアルジュに向かって口を尖らせる。
 「途中で電池が切れちゃったのさ。無線機でそう言おうとしたのに、いきなり撃ってくるんだから」
 冷たく返されてユニーも言葉に詰まる。リシュアはユニーの銃を取り上げてから彼の頭を軽く小突いた。
 「あのな。学校で習っただろ? 銃を撃つ時は安全装置を外すんだよ。バカ。このバカ」
 ぺしぺしと頭を叩かれて、ユニーは言葉もなくうなだれている。
 「全くとんだ演習になったな。……俺はそろそろ司祭様の様子を見に行かないと……」
 そう言って腕時計を見たリシュアの顔が固まった。時間は1時を回っている。気付かないうちに深夜を過ぎていたようだ。
 「こりゃいかん。お前達は入り口でビュッカ達と合流してからもう一度林を探索しててくれ。今度は仲間同士で撃ち合うなよ!」
 そう言い捨てて、リシュアは走った。
 何事もなければいいが。そう心で祈りながら司祭の部屋へと向かった。
 「司祭様?!」
 部屋の前で大きな声で呼ぶ。しかしいくら待っても応答はなかった。
 「まさか……」
 ドアノブを回すとドアは静かに開き、見回しても部屋はもぬけの殻だった。
 「しまった……!」
 リシュアは再び走り出した。今度は塔へと向かって全力で走る。よりによってこんな危険な状況の時に司祭を外に出してしまうとは。リシュアの心に焦りと後悔が押し寄せてきた。
 
 塔へと向かうと、途中の庭にあの霧がかかっていた。そして遠くから司祭の歌声が微かに聞こえてくる。
 『こっちか?』
 リシュアは逸る気持ちを抑え、霧の濃くなる方へと全力で駆けた。暗い庭に濃い霧がかかり視界は悪くなる一方だった。しかし、その中にリシュアはうっすらと人影を見つけた。
 「司祭様!」
 思わず叫んで駆け寄る。するとリシュアの目に2人の人影が飛び込んできた。
 一人は司祭と、そして一人は黒髪の男だった。
 司祭は黒髪の男の肩を掴み、顔を近づけている。男と司祭の口の間には何か光の糸のようなものが絡み合って煌めいていた。
 まさにそれは司祭が人の生気を吸い取っている瞬間だった。
 「司祭様! おやめ下さい!」
 リシュアは夢中で二人を引き剥がした。男を突き飛ばすようにして司祭から解放する。すると男は頭から地面に倒れこんだ。
 金の瞳を虚ろに彷徨わせている司祭の肩を掴み、リシュアは強く揺さぶった。
 「司祭様! 司祭様! 起きて下さい!」
 ぐらぐらと揺られて、司祭も目を閉じるとそのままリシュアの腕の中に崩れ落ちた。リシュアは静かに司祭を抱きとめる。
 「あ……」
 暫くして、司祭はそっと目を開いた。菫色の瞳が心配そうなリシュアの顔を映す。
 「すみません司祭様。約束の時間を過ぎてしまいました」
 申し訳なさそうに言うリシュアの言葉で、司祭は状況を把握したようだ。
 「……ああ、またやってしまったのですね」
 そうして不安げに辺りを見回した。その目に倒れこんだままの男の姿が飛び込んでくる。
 「……!」
 司祭は絶句した。自分が人を襲ったという事を知ったのはこれが初めてなのだ。唇を噛み、泣き出しそうな表情で恐る恐る司祭は男に近づいていった。リシュアも手を貸したままそれに続く。
 男は倒れこんだままぴくりとも動かない。見ればミイラ状にこそなっていなかったが、乾ききった土気色の肌は死人のそれだった。
 司祭の目からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。
 「私は……なんということを……」
 そうして崩れ落ちるように男の傍らに座り込み、そっとその冷えた頬に触れた。
 「済みません。本当に……ごめんなさい……」
 司祭は縋るように男を抱き締め、そのままその体を抱き起こした。
 「司祭様。悪いのは私です。必ず止めると約束しましたのに……」
 一向に泣き止まない司祭を心配そうに見つめ、その抱いている骸ごと抱き寄せようと手を回す。
 
 その手が途中でぴたりと止まった。
 「ん?」
 リシュアの手は、土色になった男の体に僅かに鼓動を感じていた。
 「司祭様! まだ息があります!」
 驚いたことに、どう見ても死後数日経ったようにしか見えないその体は微かに脈打ち、僅かだが胸は呼吸で上下していた。
 「ああ、ああ。良かった……。すぐにお医者様に……」
 駆け出そうとした司祭の腕を掴んで止めたのはリシュアだ。
 「いけません! このことは誰にも知られてはいけません。勿論私の部下達にもです」
 「でも……手当てをして差し上げなければ……」
 司祭は再び泣き出しそうだ。リシュアは安心させるために優しく微笑んでその体を抱き寄せた。
 「手当てなら私がします。病気や怪我でないのなら医者にでも治せるかどうか。それよりも安静にさせて回復を見てはいかがでしょう」
 確信はなかった。しかしこの男がこの状態で誰かに見られれば司祭の罪が明らかになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
 「分かりました。では私の部屋にお運びしましょう」
 渋々と、しかしようやく納得した様子の司祭は男を抱き上げようとする。それを制してリシュアが代わり、林がある方とは逆の道を通って司祭の部屋へと向かった。
 
 暖炉の火が勢い良くパチパチと燃え上がる。
 まずは男の冷え切った体を温めなければならない。男を暖炉の前に置いたソファに横たえ、毛布を掛ける。司祭は心配そうに男の顔を覗き込みながら冷たくなった手をさすって温めている。
 「後は私が代わります。司祭様はお休みになって下さい」
 そう語りかけても、司祭は俯いたまま首を振るだけだった。頑なな性格は変わってはいない。リシュアは諦めて好きにさせることにした。
 きっと司祭は自分の犯した罪に苛まれて居ても立ってもいられないのだ。こうすることが少しでもその気持ちを楽にするならば、少しくらいは無理をさせても仕方がないだろうとリシュアは思った。
 二人が出来ることは少なかった。しかし夜が明ける頃には僅かだが男の顔色は良くなり、鼓動もしっかりとしてきた。
 「イアラにだけはこのことを知らせてもいいですか?」
 司祭の秘密を共有しているイアラならこのことも安心して話せるはずだ。彼女の助けがあれば今後色々と楽になるだろう。
 司祭は少し迷った後にしっかりと頷いた。イアラが自分を守っていてくれることは司祭も良く承知していた。
 「では、後の世話は少しの間イアラに任せましょう。司祭様はどうぞ少しでもお休みになって下さい。ここでお倒れになっては元も子もありませんでしょう?」
 優しく言い聞かせると、今度は司祭も素直に頷いた。リシュアは安心してイアラを呼びに彼女の部屋に出掛けた。
 
 
 イアラも、さすがに男の様子を見て息を呑んだ。今まで死んだ動物の処理はしてきたが、彼女も被害にあった人間を見るのは初めてなのだ。しっかりしてはいるといってもまだ子供でもある。この反応は当然の事だった。
 しかし彼女は気丈に振る舞い、司祭を元気づけると骸のような男の手足をマッサージし始めた。それを見た司祭はようやく安心したようにベッドに入ると深い眠りに落ちていった。
 「悪いな。司祭様とこいつを頼む。俺も仕事が片付き次第すぐに戻るからな」
 「任せておいて。それよりもこの騒ぎを何とかしてね」
 イアラの言う通りだった。この男が発見されない限り捜索は続くのだ。その間ここで起きていることを部下達に悟られないようにしなければ。
 リシュアは司祭の部屋の洗面台を借り、徹夜明けの顔を整えた。そうして何食わぬ顔で警備室へ向かった。
 
 「よう。お疲れ。何か見つかったか?」
 途中で捜索を打ち切り、とりあえず警備室で休憩を取っていた部下達に努めて明るく声を掛けた。
 「……まるでダメですね。明るくなってからじゃないと無理だと思って一旦切り上げましたよ」
 ムファがぐったりとした様子で机に突っ伏している。
 「すっかり体も冷えたろう。少し温かいものでも飲んで、腹ごしらえしてから再開しよう。寺院は広いからな。長期戦になるかもしれん」
 見つからないものを部下に探させるのは心苦しかったが、司祭のためならばそれでもリシュアは厭わない覚悟だった。
 
 

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