風が吹く前に 第3部 (8)                       目次 

部下達に食事と仮眠を取るように言いつけて、リシュアは寺院を後にした。
向かったのは新都心、その繁華街だ。バーや娯楽施設が立ち並ぶ大通りの一歩裏手に入る。表通りに比べてそこは灯りも少なく人通りもまばらだ。街灯の下には娼婦と思しき若い女性が立っており、通りすがるリシュアに怪しげな笑みを投げかける。
古びたレンタルビデオショップの看板が黄色く点滅している。リシュアはその入り口をくぐった。
「いらっしゃい」
無愛想な店主が開いたドアの方を見、リシュアの姿を認めるとあからさまに顔を顰めた。
「……またあんたですか。何もやっちゃいませんよ」
おどおどとした態度からするとその言葉はおそらく嘘だろう。しかしリシュアは構わずカウンターに肩肘を付いて店主に笑いかけた。
「心配するな。今日は客として来た」
「……おとり捜査は御免だぞ」
じろりと見上げるように店主はリシュアを睨みつける。
「そんなんじゃない。ちょっとやばいことがあってな。困ってるんだ。助けてくれないか」
リシュアの人懐こい笑みを探るようにじっと見つめた後、店主はぼそりと呟いた。
「……「会員証」が欲しいのか?」
リシュアは黙って頷き財布から札の束をちらりと引き出して見せた。素早くその札の厚みを見定めて、店主はしばらく考えた後カウンターを出た。
「付いてきな」
そうして二人は地下への階段を下りていく。
 
古ぼけた地下室には、まるでそぐわないような最新の印刷機などの機械が並んでいた。ここは様々な書類を扱う偽造屋だった。
「市民証を作って欲しい。住所や職業は任せるよ。名前はライザ=クラウス。20代前半の男だ」
そう言って身分証用の小さな写真を差し出す。黒髪の平凡そうな顔をした青年が無表情で写っている。
「30分待ちな」
そうして店主は作業に取り掛かった。
 
きっかり30分後にはリシュアは偽造された市民証を手にしていた。ご丁寧に使い古したような質感までつけてある。
「いい仕事するな。これは余程のことがないと見破れないだろうな」
裸電球に透かして見ながらリシュアは唸るように呟いた。
「この仕事は信用第一だからね。……さ、用が済んだら帰ってくれ。俺はどうにも軍人が嫌いなんでね」
その言葉に笑顔を返して、リシュアは店を後にした。
 
車に戻ると、助手席には一人の青年が座っていた。先程市民証を作るときに使った写真の男だった。
「じゃあ、これを持って後で寺院に来てくれ。時間はまた連絡する。段取りはさっき話した通りだ。報酬の残りは後払いでな」
 男は市民証と封筒に入った現金を受け取るとにやりと笑って車を降りた。
 
 
 全てを済ませて寺院に戻ったころには空も白んできていた。リシュアは夜露に濡れた塔の周りの庭に向かった。
 少し離れた所に林が見える。あの男はおそらくは夜まで林の中に潜んでいたのだろう。一体なにが目的だったのか。
 その時、林の手前に何か落ちているのに気付いた。近づいて拾い上げると、それは銃だった。リシュアは目を細めてそれを凝視する。
 それは小ぶりの銃で、かなり古風なデザインだった。全体に金や彫刻で装飾が施してあり、武器としてよりも美術品として愛でられるような物に見えた。
 「何でこんなもの……。あの男の物か?」
 不法侵入をした上に武器まで所持していたとなるとただ事ではない。リシュアは眉間に皺を寄せ暫く考えた後、その銃をポケットに仕舞った。
 
 警備室に戻ると、部下達が起きてコーヒーを淹れていた。
「あ、中尉いいところに来ましたね。淹れたてですよ」
 手渡された濃い目のコーヒーは徹夜明けの胃に染み入るようだった。
 それを一気に飲み干して、リシュアは部下達をぐるりと見渡した。
 「さあ、じゃあ捜索再開だ。お前達は全員で林を捜索しろ。俺は司祭様の様子を見ながら寺院内を探す」
 休憩を入れたおかげで元気を取り戻した彼らは賑やかに林へと向かう。それを見送ってリシュアは司祭の部屋を訪ねた。
 
 「失礼します」
 廊下で声を掛けると、中から鍵を開ける音がした。顔を覗かせたのはイアラだ。そのドアの隙間から部屋の中を覗くと、もうすでに司祭は起きていて、またあの男の傍で看病をしているようだった。
 「お休みになるように言ったんだけど、だめなのよ」
 イアラは小声で言うと肩を竦めた。
 リシュアは静かに入室し、司祭のいる暖炉の傍に歩み寄った。男は更に回復してきているように見えた。これなら助かるかもしれない。司祭の心情を思うとリシュアは胸を撫で下ろさずにはいられなかった。
 司祭はリシュアに向かって軽く礼をすると、再び男に向き直ってその肩から腕にかけて優しく撫で始めた。その表情は必死で、痛々しいくらいのものだった。
 「司祭様。騒ぎを収める算段がつきました。ただ、司祭様のご協力も必要です。今から言うとおりになさっていただけますか?」
 そうしてリシュアは説明を始める。司祭は真剣な表情で頷きながらそれを聞いた。
 「では私は一旦部下のところに行きます。その時になったらお呼びしますので、宜しくお願いします」
 そう言ってリシュアは踵を返す。その背中に向かって司祭が呼びかける。
 「中尉さん」
 振り返ったリシュアの目に深い感謝の色を浮かべた司祭の表情が映る。
 「本当に、有難うございます」
 明るい笑顔でそれに答え、リシュアは部屋を後にした。
 
 「お前達、捜索は中止だ。例の不明者が見つかった」
 警備室から無線機で部下達に呼びかける。
 「いたんですか?! 中尉が捕まえたんですか?」
 ムファの驚いたような声が返ってくる。
 「説明するから戻って来い」
 短く答えて無線を切り、戻ってくる彼らのために新しくコーヒーを淹れはじめた。
 
 「……どこですか? ライザ=クラウスは」
 戻ってきて警備室をきょろきょろと見回し、ムファが不思議そうに尋ねた。
 「まあ座ってコーヒーでも飲め。お疲れさん」
 全員でソファに座って一息ついたところで説明を始める。
 「もしやと思って役所の方に問い合わせてみたんだ。ライザ=クラウスって名前の男は新都心と旧市街合わせて12人いたが、黒髪で20代なのは1人だけだ。……もうすぐここに来るよ」
 4人は顔を見合わせる。
 「来る、とは?」
 ビュッカが短く尋ねる。
 「居場所を調べたらちゃんと自宅に帰ってたんだ。つまり検問所でチェックを忘れただけってことだろうな。まあ、念のために司祭様に顔を確認してもらうけどな」
 
 少し経ってから、検問所からライザ=クラウスが到着したという連絡が入った。検問所の係員は腑に落ちないような声だった。リシュアは少しひやりとした。
 あのソファで倒れている男に良く似た便利屋を使ったつもりだが、その顔の違いに検問所の係員は気がつくだろうか。あとは司祭に任せるしかなかった。
 警備員室に男が入ってくる。おどおどとした素振りやリシュアの事はまるで知らないような顔をしている辺りはこの仕事に慣れているようだ。
 「ライザ=クラウスです」
 そう言って、男は今朝方渡した市民証を提示する。それをビュッカが確認した後リシュアにも見せる。リシュアは何食わぬ顔でそれを改め、軽く頷いてビュッカに戻した。
 「昨日、寺院を訪ねたか?」
 「はい。ルナス正教に興味があったので」
 質問を始めた時、司祭が警備室にやってきた。
 「ご足労をお掛けします。司祭様に確認して頂きたいのですが、昨日この男に会われましたか?」
 司祭はじっと男の顔を見てからリシュアに向かってしっかりと頷いた。
 「はい。お会いしました。今の信仰に自信をなくされて、ルナス正教に興味を持たれたと。教義について色々とお話させて頂きました」
 二人の話を聞いていた部下達から緊張が消えていくのが良く分かった。
 「ああ、じゃあやっぱり間違いないんだなぁ」
 ユニーがほっとしたように呟いた。寒くて広い林を歩き回るのにはもううんざりしていたのだ。
 「よし。これで話は通ったな。ビュッカ、報告書にまとめておけ。俺は一応本部にも連絡しておく」
 こうして侵入者騒ぎはなんとか収めることが出来た。ユニーとアルジュは少々疲れた様子は見せたものの、安心したように帰路に着いた。
 
 
 夜になっても男は目を覚まさなかった。顔色はほぼ通常に戻り呼吸もしっかりしていた。見ただけではただ眠っているようなのに、声をかけてもまるで反応がない。
 司祭は男の手を握ったままその顔を覗き込んでずっと傍にいる。
 「私が代わります。少しお休みになってください。交代で付き添いましょう」
 リシュアが声を掛けると、今度は素直に頷き静かに立ち上がった。
 暖炉の炎に暖められて上気した頬はほんのりと桜色でとても愛らしかった。リシュアは思わずその髪に触れ、そっと抱き寄せた。そしてゆっくりと顔を近づける。
 しかし司祭はその手をすり抜けた。
 「……すみません。今はそういう気分になれなくて……」
 酷く申し訳なさそうに俯いたままそう言うと、逃げるようにベッドルームに向かった。
 正直リシュアはショックだった。こんな風に拒絶されたのは初めてだ。無念さに似た感情が胸に湧き上がる。
 そしてそれはソファに横になっている男に対しての怒りに変わった。
 『こいつさえ迷い込んで来なければ……』
 なんとも面白くない気分になり、思わず男の腕を軽く抓った。
 
 すると、男の表情が変わった。僅かに眉根を寄せたようだった。
 「ん? おい、目が覚めるのか?」
 リシュアは声を上げる。それを聞きつけて司祭が駆け寄ってきた。
 「あ、司祭様。今少し表情が動いたように見えたのですが……」
 無論抓ったことは内緒だ。
 「クラウスさん、クラウスさん。起きて下さい」
 司祭は男の肩を掴んで優しく揺り動かした。そうしながら、じっとその顔を覗き込む。
 男は再び顔を顰め、瞼を震わせた後、ゆっくりとその目を開いた。
 「ああ、気づかれましたか。良かった……」
 男の黒い瞳に、司祭の泣き笑いのような顔が映し出される。
 「……やあ、何て……美しいんだ……」
 男は夢見るような表情で司祭を見つめ、再び目を閉じた。
 リシュアは腰の銃に手をかける。病人とはいえ素性の分からない侵入者だ。油断はできない。
 しかし男は大きく息を吸った後に今度ははっきりと目を開き、うっとりとしたような笑顔で司祭を見つめていた。
 「本当に綺麗な人だなあ。ここは天国かい」
 男と司祭は見詰め合ったまま。男は静かに手を伸ばし、司祭の頬に触れた。司祭はその手に自分の手を重ねる。
 
 「おいこら。待て。待て待て。ちょっと待て!」
 面白くないのはリシュアだ。これでは恋人同士の感動の再会のようではないか。
 「お前、一体何者なんだ?! 寺院に潜んでいただろう! 盗みか? それとも司祭様を狙ったのか?」
 冷静さを失いかけたリシュアは司祭の頬に触れている男の手を掴んできつく問いただした。司祭はそんな二人の様子を心配そうに見つめている。
 「俺か? 俺は……」
 ちょっと驚いたようにリシュアを見上げて男は何か考えている。
 「おかしいな。分からない。俺は、誰だ?」
 「はあっ?」
 男は眉根を寄せて目を泳がせる。そうして暫く考え込んだ後、途方に暮れたように呟いた。
 「参ったな……思い出せない」
 司祭とリシュアは顔を見合わせた。
 「そんな見え透いた嘘で逃れられると思ってるのか?」 
 むっとしたようなリシュアに男は困ったように笑いかける。
 「いや、本当なんだ。困ったな。どうしたら信じてもらえる? 自分の名前も、ここがどこなのかもまるで分からないんだ」
 とても信じられない、という顔で睨み付けるリシュアに司祭が訴えかける。
 「きっとショックで記憶を無くされたのです。私のせいです」
 そうして再び男の顔を覗き込み、そっとその黒い髪を撫でた。
 「記憶が戻るまで私がお世話を致します。どうぞ安心して下さい」
 リシュアは目を丸くした。余りに予想外の展開だった。
 「ああ、宜しく。本当に綺麗な人だなあ。あんた名前は?」
 微笑む司祭をじっと見つめて、男は嬉しそうに目を細める。
 「私はフィルアニカです。あなたのお名前はおそらくクラウスさんです」
 司祭の言葉に男は頷いた。
 「フィルアニカさん、か。いい名前だ。そうか、俺はクラウスか。クラウス……」
 そう口の中で自分の名前を反芻するが、やはり覚えがないようだった。
 
 「司祭様。お言葉ですがこの男が無害だという確信はまだありません。回復もしたことですから、ここは秘密裏に寺院からどこかの病院に移して様子を見たほうが宜しいでしょう」
 しかし司祭は大きく首を横に振る。
 「そのようなことはできません。私のせいでこのような目に遭われたというのに、途中で放り出すなんて……」
 その瞳は断固としてリシュアの言葉を拒否していた。こうなるともう手に負えないのはリシュアも承知している。なにせ頑固さだけは誰にも負けないのだから。
 リシュアはため息を吐いて暫く考え込んだ。
 状況は非常に面白くない。しかも司祭に危険が及ぶことも考えられる。しかしもしも記憶が戻ったとして、司祭に襲われたことを誰かに話したりしたら大変なことになるのも確かだ。
 ここは司祭の言うとおりにした方がいいのかもしれない。
 
 「……分かりました。では常に警戒を怠らないようになさって下さいね」
 その言葉に司祭は嬉しそうに頷き、男は不思議そうに首を傾げた。
 「警戒だなんて。いやだなあ。俺がこんなに綺麗な人を傷つけるはずがないだろう?」
 そうして白い歯を見せて笑った。爽やかな青年の笑顔にリシュアは思わず顔を顰めた。
 「気安くそういう事を言うなよ。この方はこの寺院の司祭様だ。お前とは身分が違うんだからな」
 しかしその言葉を遮るように司祭は男……クラウスに微笑みかけて優しく語りかけた。
 「そのような気遣いは無用ですよ。ここに居る間は家族と思って気軽に接してください。どうぞ自分の家にいるようなつもりで」
 「うん。分かったよフィルアニカさん。改めて宜しく」
 クラウスが差し出した手を司祭はそっと握り返した。
 そんな二人を酷く面白くない様子でリシュアは見守るしかなかった。
 
 

  第3部 (7) ←   → 第3部 (9)                                       

目次 ←

 

 TOPページの下にキャラ人気投票フォームを設置しました。宜しければ1票お願いいたします。


 

 

inserted by FC2 system