風が吹く前に 第1部 (12)                       目次 

  

 声の主はイアラだ。考えるよりも先に走り出していた。アルジュとムファも慌てて後を追う。
 断続的に叫び声が続いている。声は宝物庫の方から聞こえていた。
 「ロタ!」
 「ちっくしょー! 放せ!」
 角を曲がったリシュアの目に、異様な光景が飛び込んできた。
 空中に、ロタが浮いている。
 じたばたと手足をばたつかせて体を浮かび上がらせたまま、何かを激しく拳で叩いていた。目の前のその何かは完全な透明ではなく、陽炎のようにうっすらと人の形をした影になっていた。
 その影はロタを小脇に抱えるように抱き上げているのだ。
 「司祭様! おいらはいいからこれを……!」
 よく見ると、ロタは影が持っている刀のようなものに必死でしがみついていた。
 「いけません! 放しなさいロタ!」
 司祭は青ざめた顔でロタに近づこうとしているが、イアラがそれを全力で押しとどめている。
 「軍人さん! お願い、助けて!!」
 リシュア達の到着を知り、イアラは懇願した。その叫びに反応したように、影は大きく動いた。リシュアが銃を出して構えた時、影はロタを抱えたまま既に走り出していた。
 「追いかけろ! 逃すな!」
 二人にそう指示して、リシュアは後に続こうとする司祭の手を掴んで止めた。
 「後は任せて! 何があったんですか?!」
 血の気のない顔の司祭は動揺のためか視点が定まらない様子で、ロタと影が去った後を目で追っていた。
 「すみません……私が勝手にここを開けたせいで……ロタが」
 「何か盗られたんですね?!」
 「王家の宝剣よ。軍に奪われる前に隠さなきゃって……」
 イアラが代わりに続けた。司祭は今にも崩れ落ちそうになっていた。抱きかかえるように支えると、リシュアはそのまま司祭をイアラに預ける。
 「大丈夫。逃げられはしませんよ。宝剣は必ず取り戻しますから!」
 そう告げて走り出そうとしたリシュアの腕を、司祭の細長い指が捉えた。
 「剣よりも……ロタを! あの子を……無事に取り戻して下さい! お願いです!!」
 すがるような表情で訴えた。リシュアは無言で頷くと、影と、部下達の後を追った。
  「今、勝手口です中尉! 奴は裏から出るつもりです!」
 無線からムファの声が途切れ途切れに聞こえてくる。廊下の向こうから、連絡を受けた残りの2人も駆けつけてきた。
 「お前達は橋に回りこめ! 絶対に逃すなよ!」
 リシュアは全力で駆けた。足には自信がある。すぐにムファ達に追いついた。影はロタを抱えたまま勝手口を飛び出す。
 ごお、と風が鳴った。
 夕刻、風がまた強くなる時間になっていた。寺院の敷地内は外壁に護られているが、門をくぐれば外は嵐のような風が吹きすさんでいるはずだ。
 食料庫の角を曲がった所で、一瞬影を見失った。
 「そっちに行ったぞ!」
 「こっちにはいません!」
 挟み撃ちにしたはずだったが、そこに影とロタの姿はなかった。
 その時、下方から車のエンジンをかける音がした。一瞬顔を見合わせ、リシュアとムファは再び駆け出した。
 ガスをタンクに補充をするための車が作業の途中で停めてあったのだ。
 通常は使わない車用の細い道路をゆっくりとバックしていく赤い小さなトラック。助手席にいるロタは運転している影に掴みかかっている。リシュアはトラックに駆け寄り、助手席のドアに飛びついた。
 「もうよせ! 後は任せて降りるんだ!」
 開いた窓から制止するが、ロタは耳を貸さない。
 「邪魔すんな! 司祭さまの大事なもんだ! 絶対取り返して……」
 がたん、と花壇に乗り上げたトラックはそのまま切り返すと、猛然とスピードを上げて木戸に突っ込んだ。ドアに取り付いたままのリシュアの背に粉砕された木戸が激しくぶつかり、一瞬息が止まる。
 「……っ! いい加減にしろ!」
 リシュアはドアを開けて車に乗り込んだ。ロタは影にしがみついたまま体を伸ばして宝剣を掴もうと躍起になっている。
 木戸の外は強風が吹き荒れていた。
 トラックは風に煽られて蛇行をはじめる。影は宝剣を持った手をハンドルに副えた。すかさずその手があるべき所を掴んだロタは、そのまま思い切り歯を立てた。
 「うああっ」
 驚いたような叫び声と共に、宝剣がその手から落ち、運転席の床に転がった。トラックは蛇行しながらもスピードを上げていく。もうロタを下ろす余裕はなかった。リシュアは足を伸ばしてブレーキを踏もうとするが、ロタの体が邪魔になって届かない。
 見えない手がリシュアの鼻柱をしたたか殴りつけてきた。激痛で一瞬視界が真っ白になる。そうしている間にも風は狂ったようにトラックを弄び、もはや抑制の効かなくなった車体は橋の欄干に何度も車体を擦りながらただ坂を落ちていく。
 もう持たない。
 咄嗟に判断したリシュアはロタの体を引き寄せた。そして床に落ちている宝剣に手を伸ばす……が、揺れる床の上で踊る宝剣に僅かに手が届かない。
 「くそっ」
 リシュアは凹んで開かなくなったドアを蹴り落とし、ロタの体を抱きかかえるように車から飛び降りた。何度か強く体を打ちつけた後、ごろごろと転がってリシュア達の体は止まった。
 体を起こしてやる。ざっと見たところロタに怪我はないようだ。
 リシュアが視線を移した時、トラックはまさに回転したまま橋の側壁に激突するところだった。
 鉄がひしゃげる音。そして一瞬の後、どん、という音と共に衝撃が全身に響いた。トラックはタンクの部分から火が出たかと思うと火柱を上げ、見る間に炎に包まれていく。炎は強風に煽られて生き物のようにうねり、黒煙を吐いて勢いを増していった。

 

 

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