風が吹く前に 第1部 (5)                       目次 

  

 宴はまだまだ終わりそうも無く、むしろ盛り上がりを見せていた。演奏は軽やかな音楽に変わり、彼らは誰からともなくダンスを始めた。アンビカの好みそうなカクテルと冷えたワインに手を伸ばした時、一人のボーイがリシュアに声を掛けた。
 「カスロサ中尉。お電話が入っております。こちらへどうぞ」
 リシュアは頭の中で心当たりを探ったが、ここに電話を掛けてくる人物には心当たりがなかった。唯一可能性のある中将は今この会場にいるのだから。
 「急ぎでなければ後でと伝えてくれ」
 そう言って向けた背に、何かが当たった。ゆっくりと振り向くと、サイレンサーが取り付けられた小型の銃がリシュアに押し当てられていた。
 「こちらへ」
 ボーイはやや緊張した声で繰り返した。
 「……ああ、分かったよ。電話を待たせるのは良くないな」
 リシュアはグラスから手を離し、ボーイの制服に身を包んだ男に促されるまま廊下へと出た。会場の音楽が広い廊下にも僅かに響いていた。廊下に人通りは少なかった。
 そのまま促されて辿りついたのは、地下にある薄暗いランドリー室だった。 大きなドラムの乾燥機が唸るような音を立て、熱気を吐き出している。
 「さて、中尉」
 ボーイ姿の男は正面を向いて少し距離を置き、改めて銃を構えた。
 「ここであんたにはちょっとした選択をしてもらう」
 奥からもう一人の男が現れた。こちらは警備員の制服を着ていた。
 「このまま我々2人を安全にカトラシャ寺院まで連れて行くか、ここで死ぬかだ」
 鈍く光る銃口を眺めてリシュアは苦笑した。
 「参ったな。……俺は優柔不断が売りでね」
 「迷ったら死ぬだけだ」
 警備員姿の男が不機嫌そうに告げながらやはりサイレンサーを付けた銃を取り出した。
 「あの男のようにな」
 銃で指し示された方に目をやると、警備員が倒れこんでいるのが見えた。こちらは恐らく本物だろう。大量の血が広がる床の上で、目を開けたまま動かなくなっていた。
 「ボーイと軍人と警備員が一緒に出たら怪しまれると思うがね。どうやって安全に案内しろと?」
 「ここは裏口がある。車もな」
 奥に緑色の古い鉄扉が見えた。荷物の搬出入に使う扉だろう。ボーイ姿の男がその前に立ち外の様子を伺っていた。
 「用意がいいな。……しかし寺院なんかにわざわざ何の用だ? お祈りに行くには少し大袈裟じゃないか」
 「余計なおしゃべりはいい。どうするんだ」
 苛立つように男は銃口をリシュアの胸に押し付けた。
 「条件にもよるさ。今助かっても後で死刑になるような手助けじゃ割に合わない」
 男はリシュアの目をじっと見つめた。
 「……いいだろう」
 リシュアに手錠をはめながら男は話し始めた。
 「司祭や寺院の人間には用はない。あるお宝が欲しいだけだ。それさえ手に入ればお前も無事に解放してやるさ」
 「お宝ねえ……。あんな古寺にお宝があるようには見えなかったが……」
 男はそれには答えず、腕時計を指し示して返事を催促した。
 「……まあ命には代えられん。分かったよ」
 そう言ってリシュアは自由を奪われた両手を軽く挙げて見せた。男は少し表情を和らげ裏口で待機していた相棒に向かって頷いた。合図を受けたボーイ姿の男は鉄扉をそっと開けた。
 金属の擦れる音を立てて扉が開き、ひんやりとした夜風が舞い込んできた。そのまま車の方へと進もうとした時、そっと男のこめかみに銃があてがわれた。
 待ち構えていたのはオクトだった。
 「騒ぐなよ……。仲間は何人だ?」
 男の手から銃を奪いながらオクトは小声で尋ねた。銃を向けられたまま男は両手を胸の前まで挙げた。オクトがその手を後ろ手にして手錠をはめようとした時、男はその手を振り払ってオクトの銃を奪おうともみ合った。
 「見つかった!逃げろ!」
 男がそう叫ぶと警備員姿の男はすばやく動き、リシュアを連れたまま通路の奥へ飛び込んだ。そして物陰に身を隠すと扉の方を窺う。
 「逃げ切れんと思うがね。自首すれば今なら軽いぞ」
 シーツが積み重ねられた棚の陰に引きずられるように押し込まれながらリシュアは囁いた。
 「黙れ。向こうは1人、こちらは2人だ」
 頭に血が上った男がリシュアに銃を向けた。
 「それはどうかな」
 リシュアは手錠の鎖で銃を絡めて跳ね除けた。そしてそのまま両手を組んで強烈に男の顔を殴りつける。男は声も上げずに倒れこみ、銃は飛ばされた後床に落ちて大型の洗濯機の下に滑り込んだ。
 「これで2対2だな」
 男は血の吹き出した鼻を押さえながらリシュアに殴りかかる。リシュアは軽くそれをかわし、今度は横から力任せに殴りつけながら足払いを食らわせる。男は一瞬宙に浮いた後、頭から地面に叩きつけられ、呻いた。
  

 オクトは自分の銃を奪って逃げたボーイ姿の男を目で追った。すぐに彼が落としていった小型の銃を見つけ、拾い上げるとランドリー室へ足を踏み入れた。
 耳を澄ますと機械の音がやけに大きく響いて感じられた。オクトは近くにあった籠の中から丸められたシーツを取り出し、放り投げる。左前方で2度の銃声。シーツが宙を舞う。オクトは音がした方へ移動しながら、一瞬見えた人影に向かって発砲した。
 男が身を隠した大型の洗濯機に弾が当たって金属音を立てる。息を殺してオクトは通路の奥へ進んでいった。
 大きな棚の向こうから微かに人の気配を感じ、そちらへと距離を縮めた。乾燥機の横に人影を認めて、オクトは銃を構えて走り寄る。しかしそこに居たのは金属のパイプに手錠で両手を繋がれた警備員姿の男だった。
 一瞬状況が掴めずにオクトは構えた銃を下ろした。その時、彼の首筋に銃口が向けられた。隙を突かれ、ボーイ姿の男に背後を取られていた。
 考えるよりも早く体が動いた。振り向きざまに横に飛びながら銃を構え……。
 一発の銃声が響き、オクトは床に倒れこんだ。幸い男の弾は外れ、オクトが放った弾もまるで方向違いのタンクを撃ち抜いただけだった。
 しかしオクトは地面に叩きつけられて完全に体勢を崩していた。オクトが驚いたような顔で目を見開いた。獲物にぴたりと狙いを定めた男はにやりと笑った。
 しかし一瞬の後、今度は男の顔に驚きの色が浮かんだ。
 男の首筋をナイフの刃がなぞり一筋赤い傷をつけた後、そこから真紅の血が噴き出した。背後に立っていたのはリシュアだった。手には先程会場を出るときに失敬してきた小型の肉切りナイフが握られていた。
 男はゆっくりと膝から崩れ落ちていった。                                                     

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