風が吹く前に <序> 3                                     目次

 15分後、リシュアは物々しい警戒網の中を潜り旧友の手からコーヒーを受け取っていた。
 「立てこもりか。また辺鄙な場所に逃げ込んだもんだな」
 「小物の強盗なんだがね。市警の新人が下手に刺激してしまったらしい。厄介な場所に追い込んでくれたもんだよ」
 「橋の上の検問所か……人質は……ジジイだな」
 双眼鏡を覗く声の主はちょっと失望したように眉根を寄せた。リシュア達や警官隊が包囲している場所からは長い橋が伸びている。その橋の向こう側との中間地点に小さいボックス状の検問所があり、どうやらそこに犯人と人質が立てこもっているようだ。白髪の男性が拳銃を突きつけられたままガラス窓に押し付けられていた。
 犯人は片手に拳銃を持ち、もう片方に受話器を手にして何かヒステリックに怒鳴っている。犯人のストレスは限界に達しており、傍目に見てもいつ発砲してもおかしくないくらい危険な状態だった。
 「美貌の人質じゃなくてすまんが無事に帰してやりたい。お孫さんには何よりのインイッサ祭プレゼントになるだろう。頼むぞ」
 「ジジイもガキもインイッサの聖人も興味ないがね」
 リシュアはオクトの部下から手渡された狙撃用ライフルの重量を両手で確かめながら目を細めた。
 「お前に頭を下げさせるのは気持ちがいいからな。うまく行ったら一杯奢れよ」
 ニヤリと笑ったかと思うと、一瞬のうちに表情が変わった。その顔からは一切の感情が消えうせ、何かに吸い寄せられるかのようにただ目標地点を見つめて歩き出した。
 「分かってると思うが、なるべく生きたまま確保したい。頼んだぞリシュア」
 それには答えずに、リシュアは狙撃に適した場所を素早く探すと準備を始めた。気に入らないのはさっきから不規則に向きを変えて吹き付けてくるこの強風だ。ここは地形や土地の向きのせいか、昔からこのおかしな風に悩まされている。高い鉄塔や建物を建てれば倒れ、橋を架けても強風で通行止めになってしまう。そして今は正確を要求されるライフルの弾の狙いを妨げていた。
 もっと高い位置から狙えれば少しは容易く狙えるだろう。しかしこの橋は小高い丘に向かって伸びているため見上げるような形で勾配があるのだ。
 少し離れた所に一軒の花屋があるのが目に入った。二階は母屋になっているらしく、石造りのポーチがある。リシュアは近くにいた若い警官に声をかけた。
 「おいお前。そこの花屋の二階を借りたい。急いで話をつけて住民を追い出して来てくれ」
 真面目そうな青年ははい、と敬礼してから花屋に向かって走った。
 程なく準備が整った。もう時間はない。ポーチの柵ごしに遠く犯人達をレンズ越しに見つめる。どうやらオクトが時間稼ぎに犯人の要求を飲む方向で話を聞いているようだ。若い犯人は受話器を握ったまま今度はガラス越しに包囲している警官達に向かって何か怒鳴りつけていた。
 犯人の気が一瞬人質から逸れた。リシュアは迷うことなく引き金を引いた。ガラスがひび割れ、窓に僅かに血が飛び散った。双眼鏡を覗いていたオクトの視界から犯人が消えた。狙撃は成功したらしい。
 オクトは慎重に様子を伺いながらも、素早く無線で待機していた3名の警官に突入を指示した。同時に検問所のドアが開き、可哀相な初老の警備員が転がるようにして姿を現した。そこへ警官が駆け寄って行く。
 その時だった。
 肩を撃ち抜かれて倒れていた青年が、奇声を上げながら一度は落とした銃を反対の手に持ち替えて警官達に向けて発砲した。警官は銃弾に倒れながらも犯人に向けて撃ち返した。しかし弾は空しく逸れて、検問所の中にある小さなラジオや椅子を弾き飛ばしただけだった。銃撃戦の中で腰を抜かしていた人質の警備員は再び銃口を向けられて小さく悲鳴を上げた。
 再び人質は犯人の手の中。雄叫びを上げたその目には怒りが満ちている。白髪まじりの頭に銃が突きつけられ、犯人が引き金に力を込めた。全てが一瞬のことだった。
 火花や硝煙、そして風が止んだ時、オクトの目に留まったものは倒れこむ3名の警官と初老の警備員。そして顔面から大量の血を流して事切れている犯人の姿だった。
 初老の男はがくがくと膝を震わせながら上半身を起こすと、両手で頭を抱えたまま周りを見渡した。警官達は深手を負った者もいるようだが、なんとか無事のようだ。
 遠く花屋の二階でライフルを膝に挟んだまま柵に背中をもたれ、リシュアは煙草の煙を深く吐き出した。
 「最初から息の根止めてりゃあムダな怪我人出さずに済んだのにな。オクト」
 そして足元に落ちていた2つの薬莢を拾うと、煙草の先を押し当て火を消し再び背後に投げ捨てた。

 

  「空港近くに美人の客室乗務員が集まる洒落たバーがあるんだとさ」
 静まり返った橋の上に伸びた二人の影は長い。
 「好きだね相変わらず」
 困ったようにオクトは苦笑した。
 「構わんが、その前に少し付き合わないか?」
 自分よりやや長身のリシュアの顔をを覗き込む人懐こい笑み。怪訝そうなリシュア。
 「すまんがちょっと小耳にしてね。断る前に一度くらい覗いてみるのもいいんじゃないかな」
 親指で指した方角には橋の終わりの小高い丘。そしてその頂上に塔のような建物。
 「ああ…ここだったのか」
 ポカンとした顔でリシュアは驚きを隠さなかった。
 「カトラシャ寺院……えいくそ、まさか中将のジジイめ俺を呪ってやがるんじゃなかろうな」
 「偶然の導きには逆らうなと昔の偉人も言っているだろう。今日なら事件を口実に容易く入れてもらえるはずだよ」
 渋い顔で何か考えた後、小さくため息をついてから既に橋を渡り始めている友の背を追った。
 「しかしさすがに耳が早いな。その話はまだ機密だっていうことだったが」
 「伊達に諜報活動経験があるわけじゃないんだぞ」
 振り返って得意げに言い放った後、破顔一笑した。
 「なんてな。…実は最初はこっちにその話が来たんだよ。まさかお前に行くとは思わなくて断ったんだが……すまんなリシュア」
 「んだと? お前のおこぼれだったのかよ。全くふざけてやがるな……」
 だったら尚更断固断ってやる、と鼻息を荒くするのを見てオクトは快活に笑った。
 「ははは、すまんすまん。だが断っておいて何だが、悪くない話じゃないのか? お前の好きな「楽して得する」コースだろう」
 「じゃあなんで断ったんだよ。苦行を強いられて報われないのが趣味なのか?」
 リシュアは恨めしそうだ。そんな言葉に真顔に変わり、オクトは友をじっと見つめた。
 「今抱えている事件を放り投げては行けんよ」
 そんなオクトをじろりと睨んでリシュアは首を振った。
 「やっぱり報われそうにないな」
 「かもな」
 後は黙って風の止んだ橋を歩き続けた。

 

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