風が吹く前に 第3部 (14)                       目次 

 

年末のラムザ祭まであと3日。旧市街もすっかり祭のイメージカラーである白、緑、金に彩られている。
大通りには年末の買い物をする人が溢れ、異様なほどの活気がみなぎっている。この瞬間にも国内で内乱が続いていることなど忘れそうなほどだ。
 
しかしここカトラシャ寺院の居住区だけは違っていた。
クラウスが寺院を出てからというもの、子供達は一様に塞ぎがちだった。
彼らにとって彼は独特のムードメーカーであり、亡くした兄や父の代わりとして温かく親しく接していた。器用さを生かして手作りの玩具を作ったり、手品や音楽で心を和ませてもくれた。
そんな「妖精さん」がいなくなってしまったのは自分たちのせいなのではないか、そう思う子もいたようだ。
誰もそれを口にしないが、却ってそれが重苦しい空気を作り出しているようにも見えた。
 
「参ったな……。俺はどうも子供の扱いが苦手でなあ」
祭に使う林檎の収穫をする司祭、そしてそれを手伝う子供達を遠くに見ながらリシュアは頭を掻いた。
「ええ、でも大丈夫。すぐに慣れるわよ」
「そんなものかな?」
 
イアラは微笑み、黙って頷いた。彼女も以前同じ境遇にあったからこそ分かるのかもしれない。
気休めかもしれないと思いつつもリシュアはその言葉を信じることにした。
目を細めて司祭に視線を戻す。日が傾きはじめ、辺りは蜜のような黄金色に染まり始めている。
葉を落とした灌木までもが金細工のオブジェに見えてくる。そんな幻想的な風景だ。
西日を浴びながら林檎を手にする司祭はそんな景色にすっかり溶け込んでいる。思えば初めてここで目にしたのも同じ情景だった。
 
もうあれから1年が経ったのかとリシュアはしみじみと司祭の横顔をじっと見詰めた。司祭の横顔は美しいがどこか淋しげに見えた。
それは初めて会った時からずっと変わらない。こうして子供達に囲まれて微笑んでいる時でさえも、だ。
 
「それじゃ悪いが俺は……」
振り切るようにリシュアは司祭から視線を外した。
「分かってるわ。様子を見に来てくれたんでしょ? ありがと」
年末も間近となった今、毎日のように行進の練習や打ち合わせに追われている。至極残念ではあるが、もう行かなくてはならない。
微苦笑を浮かべて頷き、作業を続ける司祭達をもう一度目に焼き付けてから正門前の庭に続く木戸をくぐった。
「あ、ねえ。ラムザ祭はどうするの? 良かったら一緒にってみんな言ってるんだけど」
 
そう尋ねられて、屈んだ姿勢のまま振り返る。
「あー、んー。いいのか? 俺はいない方が……」
リシュアの声は迷っているようだった。
決して卑屈になっている訳ではない。しかしクラウスに心を寄せていた子供達や司祭の姿を身近で見せ付けられたのだ。そしてそれはまだ彼の脳裏に強く焼き付いている。
あの厄介な訪問者は確かに司祭達の心に平穏をもたらしていた。一年かけても自分にはできなかった事を。
そこに再び自分が入り込んだとしても、クラウスの代わりは務まらない。リシュアにはそれが嫌というほど分かっていた。
 
しかしイアラは確信を込めて頷いた。
「いいに決まってるじゃない。最近中尉さんが顔を見せないから司祭様も寂しがってるし」
「ええ?!」
意外な言葉に反応して思わず伸び上がり、頭を木戸の枠にしたたかにぶつける。
ゴッ、と鈍い音が響き、木戸の枠とその周りの生垣が大きく揺れた。
「……っつぅー!」
頭を押さえてしゃがみこむリシュアを呆れたようにイアラが見下ろす。
「あんまり頭打つとボケるわよ?」
その言葉にもリシュアは即座に答えることができずに痛みをこらえていた。
「ボケる前にハゲそうだ……。いや、しかし今のは本当か?」
涙を浮かべて頭をさすりながらもしっかりと大切な事は確認を怠らない。
「ええ。この前もなんだかぼんやりしていらっしゃったから心配してお聞きしたらね、『中尉さんは最近お忙しいのでしょうか。全然お姿が見えませんね』っておっしゃっていたもの」
 
それを聞いてリシュアの顔が一気に緩む。
「ふうーん。そうかそうか。そうだったか、うんうん。……あ、俺年末年始はここで過ごすから宜しくな! ラムザ祭の準備もなるだけ顔出すことにしよう。うん」
そう言うと、イアラの返答も待たずにいそいそと出かけていった。
 
「なんだぁ? あのおっさんまた何かやらかしたのか?」
先ほどの音を聞きつけてやってきたロタが、リシュアの後姿を怪訝そうに見送りながら尋ねる。
「自分の存在意義を見出して感激したんじゃないかしら。なんだか、アレね。戦争に行けない軍人さんて寂しいものなのね……」
なにやら随分と酷く言われていることにも気づかずにリシュアは鼻歌まじりで本部に向かって走る車のアクセルを踏み込んだ。
 
 
「私が、ですか?」
アンビカは驚いたように顔を上げた。
「私よりもお前が適任だ。我々の意志を誰にも気取られずにフィルアニカ様に伝えねばならない」
夕食後、急な議会への呼び出しを受けた父――ドリアスタ公爵が屋敷に戻るなり人払いをし、薄い資料を差しだしてきたのは今から10分ほど前のことだ。
それを受け取り、急いで目を通しながら父の簡潔な補足を聞く。
聞きながら、アンビカは持った資料を取り落しそうになるのを必死で堪えていた。
部外秘、と重々しく記されたその資料の1枚目には非常に簡略な文章が小さな文字で書き記されてる。だが、その事務的で素っ気ない数行の文に記されているのは、彼女が初めて触れる重大な計画だった。
 
『先のクーデターより20年が経ち、今再び内乱が起きた。これは現政権を握る軍部がもはやこの国を任せるに値しない証である。本来の次期皇帝であるフィルアニカ皇子をいつまでも軍の管理下に置いてはおけない。後見人である元老院が今こそ新皇帝の擁立を図る時が来た。何らかの有効な作戦を取り、秘密裡に皇子を元老院の保護下へ奪還すべし』
これは現在軍が完全に掌握しているこの形だけの「帝国」を再び旧体制に戻そうという呼びかけだ。
この事がもし外部に漏れれば関係者に多くの死者が出ることは間違いない。もしも秘密裡に成功を見たとしても、死者の出る側が貴族側から軍の関係者に変わるだけの事。
 
「これ……は、あまりにも……」
次の言葉が続かない。いかに不便で屈辱的な生活を強いられていたとはいえ、これまで彼女は身の回りで流血を見ることなどは考えもしなかった。
 
「反対か? だが、もう待てないのだ。このままでは戦火は大きくなるばかりだろう」
このように父が確信に満ちた顔で言うのは何故なのか。そんな彼女の疑問に気づいたのだろうか。公爵は静かにアンビカの隣に座り、小さな声で話し始めた。
「今回の内乱が軍の陰謀だという噂だが、これはほぼ事実だ。南部の反政府勢力を疎ましく思う軍と現地の有力者が結託して彼らに『テロを起こさせた』のだ。そうして彼らを殲滅する大義名分を得たというわけだ」
 
バサリ、と音がして初めて自分が遂に資料を取り落したことをアンビカは知った。その後何か言葉を発しようとしたが、喉の奥が乾いて声が出ない。
それを察したのか、父親は苦笑してまだ手を付けていない自分の紅茶を差し出した。
「それで終わればまだ良かった。しかし相手も一枚上手でな。軍の、それも上層部に内通者を置いていたらしい。内乱が始まる前に大量の兵器や弾薬などを横流ししていたのだよ。彼らもまたこのチャンスを待っていたというわけだ」
 
「だから……こんなにも長引いている、と?」
ようやく絞り出した声もまだ掠れていた。公爵はゆっくりと頷く。
「ここまで大がかりになった以上、軍は反政府勢力を潰し2度目の内乱鎮圧という名誉を勝ち取るまでは後には引けない。対する反乱分子は南部を制圧してそのまま帝国から独立するまでは全滅を覚悟で戦う構えだ。このままでは戦火は南部のみならず我々の土地……そして旧市街にまで及ぶだろう」
そう言ってアンビカが落とした資料を拾い上げる。
「いいかアビィ。いや、アンビカ。流されるべきは人民の血ではない。狡猾なあの軍の狐共の血以外にこの愚かな争いを止めることはできん」
 
アンビカは背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。父のドリアスタ公爵は厳格なことで知られ、誰からも恐れられてきた。しかし、このように人の死を表情も変えずに語る人間ではなかったはずだ。
それほどまでに今この帝国は大きな危機に陥っているということなのだろうか。
 
「少しだけ……一晩だけ時間をください。父上の言葉に対して嫌とは言いません。ですが、自分なりに納得してからお答えしたいのです」
掠れる声を絞り出し平静を装って、それだけ言うのが精いっぱいだった。
「ああ、いいだろう。だがこの事は誰にも漏らすな。屋敷の者……ルーティスやマニにもだ。事前に漏れれば私もお前もただでは済まないだろう」
まるで朝食のメニューについて話すかのような冷静な公爵の態度。それが却って聞く者に真実味を感じさせる。
 
思いつめたようなアンビカの肩にそっと大きな手を添え、公爵は立ち上がった。そのまま暖炉へと歩み寄り、件の資料を火の中へ投じる。
一瞬部屋の中がその炎の勢いに照らされ、傍らに立つ公爵の姿を怪しく浮き上がらせる。
厳しくも優しい愛すべき父。アンビカがその父を恐ろしいと感じたのはおそらくそれが初めてのことだった。
アンビカは炎を見つめながら先程の会話を何度も頭の中で繰り返す。暖炉に投げ込まれた機密は赤く光った後宙に舞い、白い灰となって消えた。
どのくらいそうしていただろうか。気が付いた時には部屋の中にもう公爵の姿はなかった。
 
 

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