風が吹く前に 第1部 (6) 目次
オクトとリシュアの横を警備員姿の男が連行されていった。リシュアは作業台の上に座って近くの適当な布で両手に付いていた血を拭っていた。
「しかし、まさかお前がいたとはな」
苦笑いするオクト。
「それは俺の台詞だ。いつからパーティの護衛までやるようになったんだ」
からかうようにリシュアも苦笑で返した。
「こいつらは別件で追ってた奴らでね。潜入させていた部下から連絡を受けて来たらこの通りさ」
彼らの横を布を被せた担架が通り過ぎた。犯人達に殺された警備員だった。
「……彼だ。無理はするなと言ったんだが……」
オクトは唇を噛んだ。
「お前のせいじゃないさ」
友の心中を察してリシュアは肩を叩いた。
「ああ。……ともかく助かったよ。いつもすまない」
「なあに、構わんさ。その代わり一つ頼まれてくれるか」
リシュアはオクトの部下から受け取ったコートを肩にかけた。ホテルのクロークに預けておいたものだ。
「会場の暖炉のそばに座ってるレディに、俺は急な仕事で帰ったと伝えてくれ」
「わかった。……それでいいのか?」
「この格好だしな」
リシュアは返り血で赤く染まった軍服をつまんで見せた。
「それにもうそんな気分じゃあない。頼んだぞ」
そう言って作業台から降り、裏口へと向かった。
「リシュア」
その背を呼び止めるオクト。
「今日のことはあまり大袈裟にしたくないんだ」
物言いたげに見詰めた。
「俺もさ」
リシュアは少し笑ってみせる。オクトは頷いた。彼の顔にも、やっと安堵の笑顔が見えた。
数歩進んで、ふとリシュアの足が止まった。
「……なあ、こいつら何者なんだ?俺には寺院のお宝がどうのと言っていたが」
オクトは怪訝そうに首をかしげた。
「お宝というのは良く分からないな。奴らは反政府のカルト集団の一派だよ。危険な奴らだ」
「なるほどね。最近多いからな……。目的は運動資金てとこか」
「多分な。しかし敵に回した相手が悪すぎた。相変わらず見事だったよ」
オクトは素直に賞賛した。
「お前は相変わらず射撃が下手だ」
リシュアがにやりと笑うと、オクトはリシュアを指差して笑顔でウインクした。
翌朝の空は、昨日の事件など何も無かったかのように青く晴れ渡っていた。リシュアは出勤時間よりも少し早めに寺院へ向かった。今日は週末。旧市街から人々がミサに訪れる日だ。
寺院に入ると、イアラが祭壇にある大きな花器に白い花を活けていた。菱形をした繊細な白い花弁が黄色い中心部を隠すように渦巻いている美しい花。
「ルニスの花か」
リシュアが名前を知っている数少ない花だった。
「司祭様がお好きな花なの」
イアラは1本1本丁寧に挿していった。
「俺は嫌いだ。葬式の花だろ」
この花特有の強く甘い香りは、リシュアに母や戦友達の葬儀を鮮烈に思い出させた。
「でも、綺麗な花よ」
全部挿し終わったイアラはようやくリシュアに向き直った。
「お早う軍人さん。風邪はひかなかったみたいね」
「おかげさまでな。昨日は何事もなかったかな」
リシュアは礼拝堂をぐるりと見回した。静かなその空間は、至って平穏そうに見える。
「そうね。ロタが夜中に葡萄パンを荒らしたくらいかしら」
イアラは微笑んだ。
「ミサの警備をするんでしょ? いい場所を教えてあげる」
手招きされてついて行くと、細い階段を上がった屋根裏のような場所に出た。白い石を荒く削っただけの通路と壁。灯りは無く、外に面した鉄枠の窓から日光が射し込んでくるのが唯一の光源だった。
「ここからなら祭壇と礼拝堂が良く見えるの。秘密の場所よ」
微笑みながらイアラは自分の口元に人差し指を当てた。下を覗くと、確かに先程まで彼らが立っていた祭壇が良く見えた。
「ここに詳しいんだな」
「それが仕事よ」
そう言ってリシュアの顔を覗き込んだ後、イアラはくすりと笑った。
部下達に配置などを指示した後、リシュアは再び先程の「秘密の場所」にやってきた。祭壇ではムファが懐中電灯をくるくると回しながら鼻歌交じりに危険物などのチェックをしている。
「ムファ、気を抜かずにしっかりチェックしろよ」
トランシーバーでそう告げると、ムファは驚いて姿勢を正し、きょろきょろと辺りを見回した。リシュアはその姿を可笑しそうに眺めた。どうやら彼はこの場所が気に入ったようだ。
礼拝堂の椅子には既に気の早い参拝者がぱらぱらと座っていた。ミサまではまだ時間がある。リシュアは明かり取りの窓からぼんやりと外を眺めた。手作りガラスの窓のせいで、景色は少し歪んで見えた。
しばらくして、リシュアはようやくその景色が例の果樹園に続く庭だと気が付いた。庭師小屋の屋根ごしには葡萄畑も見渡すことが出来た。もっと良く見ようとしたが窓ははめ殺しになっていて開ける事ができない。窓にへばりつくようにしてその奥を覗き込むと、小さな丸いテーブルが見えた。
丁度司祭と庭師が席につき、イアラが紅茶のようなものを運んで来ているところだった。リシュアは目を凝らして司祭を遠く見つめた。視界が悪く良く分からないが、彼らはとても楽しげに談笑しているようだ。朝の光の下、彼らの笑顔は輝いて見えた。
自らの息でガラスが曇り思わず手で拭いたリシュアは、そこで初めて我に返った。
「何やってんだ俺は……」
急に情けない気分になり、窓に背を向けるとごろりと横になった。
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